ミュージカル『ヴァグラント』初日(8/19)感想
新藤晴一プロデュースのミュージカル『ヴァグラント』の初日公演を明治座で観てきました。まだ一度しか観られていないこともあり、自分のなかの感想もかなりまとまりのない状態なのですが、忘れないうちに書き残しておきたいと思ったので雑多な状態でブログに置いておきます。
全曲書き下ろしの新作ミュージカルの初回ということで、台詞・楽曲の歌詞については可能な限り追っていたつもりなのですが、見落としている・聞き逃しているところも多いと思います。劇中、この方の演技や表情は見逃しがちだったな……という後悔もすでにあります。そこの台詞は違うのではとか、その解釈は明確に誤っているのではという箇所があればご指摘いただけるとありがたいです。
ストーリーの核心にあたるようなネタバレもしますので、観劇予定の方、観に行こうか迷われている方は注意なさってください。観劇からひと晩置いていろいろ考えたのですが、ヴァグラントのシナリオに対して私自身は批判的に見ているところも少なくなく、いろいろな意見があるほうが健全だと思いますので、その点も忌憚なく書ければと思っています。
ですが、初日から間もないこと/前述したように私自身がまだストーリーの全体像・ディテールを掴みきれていない可能性があること/本作を観に行く予定のない方がこれを読み、不要な先入観を抱いてしまうのを避けたい思いがあること などをふまえ、本記事の一部は有料の形にさせてください。
先にお伝えすると、こちらの記事全体(有料部分も含む)はヴァグラントの公演終了後に無料公開しなおすことを検討しています。そのため現時点での本記事は、あくまでいま観に行こうかどうか検討されている方、すでに観劇済みの方に向けて書くものです。ややこしい形をとって申し訳ないのですが、よろしくお願いします。
まず、すばらしいと感じた点について。ここからは本当に雑多に書きます。
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主演・平間壮一さんの躍動感
ほんのわずかな出演作しか私は観られていないのだけれど、舞台上での平間壮一さんの身のこなしを見るたびに、生命が躍動している……! というおおげさな気持ちになって震えてしまう。
ヴァグラントの主人公・佐之助は、一見ものすごく軽薄に見えるけれど同情心や共感性は人一倍強く、やたら明るいのだが妖艶さもあり、さらに自分では知り得ない自分自身のルーツやアイデンティティに対して葛藤を抱いている……というバランスのかなり難しい役どころだと思うのだけど、そういう、ある種ばらばらな要素がひとつの身体のなかに矛盾なく存在しているという説得力はこの人にしか出せないのではと感じた。
開幕直後、上手からギターが鳴り響いて、ショーのようなライトが光るなかで平間さんが舞台上にせり上がってくるときの高揚感がほんとすごかったです。平間さんが舞台上を動く姿を見ているとボールが跳ね回っているみたいだと感じる。言葉以上に声が、声以上に身体が雄弁な役者さんだと今回観ていて思った。
譲治の苦悩と『おふねのえんとつ』
楽曲とその歌詞に関してはさすがにクオリティが高くて驚かされたのだけれど、特にすばらしかったのが『おふねのえんとつ』だったと思う。
炭坑夫の譲治は作中もっとも一貫した信念を持っているキャラクターで、彼はひたすらヤマの人たちのために生きている。ヤマの人たちのために、というか、あらゆる人々の幸福のためにというほうが近いのかもしれない。作中で譲治は人に上下などないことを強調し、ヤマに暮らす人々のなかで唯一、マレビトに触れると災いが起きるという言い伝えを「迷信」と言い切る。
譲治にとって「人」とはマレビトを含むあらゆる人間のことで、ヤマのはるか向こうにいるであろう労働者たちのこと、自分たちとは違う「人」のことも想像できる人物だからこそ、自分がヤマから出られない働き手であることを嘆く『おふねのえんとつ』はことさらに悲しく響いた。
メロディがまずとんでもなく美しいこともあるけれど、炭坑夫が日々掘り出している「よく燃える」石炭を原動力にして湯に浮かべた船が夜道を進んでいく、というイマジネーションの飛躍と、煙が立ち上っていくかのように徐々にハイトーンになっていく上口耕平さんの歌声のすばらしさ……! 1幕は明確に譲治の物語だと私は感じたのだけれど、それはやはりこのソロがあったからだと思う。弱さからいちばん遠い場所にいるかのように見えるキャラクターの内心の多面性をこの1曲だけで描ききっていて、こういう表現がミュージカルを観ることの醍醐味なんだろうと思った。
その他、歌詞について/繰り返されるモチーフ
これはもうわざわざ書くまでもないことのような気もするのだけど、楽曲の端々から感じる、あまりに強すぎる“新藤晴一み”みたいなものにあてられた人たちは多かったのではないかと思います。私自身はそれにあてられたくて観にいきました。
現実をそのまま描写することによって現実を描く、という方法ではなく、ファンタジーの風呂敷で丁寧に現実をくるむ、というやりかたを新藤さんは昔から選んできていると思うのだけれど、今回はとりわけそれを強く感じられたのが(大正時代を舞台にしているので当然といえば当然なのだが)よかった。たぶん、いわゆる「ポルノグラフィティの曲の世界観」を味わいたい方もすごく満足できると思う。
個人的には1幕、社長の就任式や祭りの場のようなハレの空間が続いたあとにやってくる『月の裏側』、そして佐之助たちが初めてヤマの民たちの“ケ”の場にあたる過酷な労働を身をもって経験することになる『炭鉱日記』~『おふねのえんとつ』のシーンがこの作品のなかでいちばん好きだった。
正確な歌詞を思い出せなくて申し訳ないのだが、「この世は地獄か?と父親に聞けば『そんないいもんじゃない』と言った」「(亡き父は)いまごろ、ここよりマシな地獄にいるんだろう」というようなフレーズにはめちゃくちゃ新藤節を感じた。みなさんもそうでしたよね??
「主人公はお前だろう?」/「喜びにも悲しみにも丸をつけましょう」
らんぼうな言い方をしてしまうと、作詞家としての新藤晴一に通底するもっとも大きなテーマは「お前の人生 主人公はお前だろう?」(『今日もありがとう』より)だと捉えている。ヴァグラントにもこのテーマは通奏低音としてずっと流れつづけていたし、この歌をうたうのがマレビトである佐之助であることにも、佐之助が炭坑夫たちというよりもむしろ客席全体に向かってこの曲を歌っているように感じたことにも納得感があった。
さらにいうと、一緒に観劇したしゅうやさんとも幕間で話したことなのだけれど、この曲、作中でも抜きん出て「ポルノグラフィティの曲」感がする。メロディもオケの乗り方も、とうぜん歌詞も。ここまで? と思う。20年間聴きつづけてきたあらゆるポルノグラフィティのメロディをコラージュした幻影みたいなものがずっと舞台上をさまよっていて混乱した。いい曲でした。
それから、やはりこの作品の(そして新藤晴一の詞世界の)もうひとつの大きなテーマは「喜びにも悲しみにも丸をつけましょう」(『丸をつけましょう』より)というフレーズに尽きるのだと思う。これはどんな経験でもポジティブに捉えよう、というマインドではなく、あのころ思い描いた未来にいま私は立っているのか? 立っているとしたらそれをあのころの私に誇れるのだろうか? という葛藤まじりの(まさに『VS』で歌っていた)諦めと赦しというか、生きていく以上、それを「悪くはない」とどうにか肯定するしかないんだろう、そう思えるようになるまでの道筋のみじめさこそが生なんだろう、という考えかただと思っている。
「最後の1秒まで勝負は決まらないよ 悪くはない日々だったと 言い張りたい」(『丸をつけましょう』より)。引用すればするほどこの楽曲がすべて語っているよなと思えてくるのでここまでにします。
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それから批判的に見た点について。申し訳ないですが、前述の理由から有料にさせてください。
変わり
エッセイと小説を混ぜたような文章を読んでいる。おもしろいとたしかに感じながらも、他者について描写するときの断定的な手つきにうんざりさせられ、すこし読むたびに疲れる。ページをめくるごとにこちらの構えも意地悪になっていってしまって、章が終わるころには、はいはいあなたが旅先で出会った“無垢”と“清らかさ”を一身に宿したような青年は眠るときたしかに“いびきをかかなかった”のでしょうね、それであなたは彼が“隣の家の娘と結婚できたらどんなにいいかと夢見ているんだろう”と勝手に想像しているんですね、みたいな最悪の読者に成りはてている。
主人公である作者が身ひとつで生きている酒飲みや放蕩者、退役軍人らに向けるまなざしは常に親しみのこもったもので、そうでない人のことはそうでない見方で見ているように私には感じられる。本についてしゃべるポッドキャストのなかで、友人の野地さんが「歩きまわることで思索を深められるって話、いろんな小説家とか人類学者がしてますけど、そもそも健脚を前提にしすぎてないすか?」という。ほんとうにそうだと思う。歩きまわれること、生まれ育った家を離れて長旅ができること、ノミのいるベッドの上でも積みわらのなかででも眠れることはどれもすばらしいことだけれど、それをできない人を指さして“無垢”はちょっとね、と思う。
しゃべりながら、私はいま嫌な読み方をしているし、たぶん語っているよりもはるかに多くのことを読み落としているのだろうとも感じるのだけれど、そのときはそう読んだという記録を残しておくことにも意味はあるのだと思いたい。さまざまな方向に伸びていく枝の1本1本を凝視してみるとすごく見ごたえがあるといった感じの読みもので、いまの自分にはその枝に目をやる体力と余裕がないけれど、5年前、もしくは5年後とかに読んだならもっと没頭できるかもしれないと思う。
フィクションには他者を一方的にまなざし、その視野を固定したまま文字に刻む自由があって、エッセイみたいなタイプの書きものにはそれがない。ないというか、それをやると必ずどこかで人を傷つけるので、そもそも書かないか、書いたことに対する合意を丁寧に得るかのどちらかになる。
これは前段の文章についての話とは切り離された、私自身の問題の話だが、もっと若いころはそれが全然わかっていなかったから、人に無数に嫌な思いをさせてきた自覚がある。その反省は生きている限りしつづけるべきなのだけれど、それでもなお人について書かせてほしいと思うとき、いつからか自分が2体に分離するようになった。傲慢な自分をノートパソコンの裏側から覗き込むように監視するもうひとりの自分が幽霊みたいに現れる。喩えとかでなく、そちらの自分が数分ごとに出してくる問いに毎回答えながら書いている感覚がある。
「そこまで書く必要があるのか?」「お前の表現の快楽を優先していないか?」と監視係の自分がいう。めちゃくちゃマイクロマネジメントしてくる上司のよう。けれど人について書くことの責任というのはそういうものだとも思う。そうやってなにかを書くために、あるいは書かないために、自分に染みついた文体をすこしずつ変えていくことにも慣れてきた。変化はたのしい。
けれどバイオリンは違う。バイオリンに対してはそんなふうに思えない。
高校のころまでバイオリンを習っていた。飽きっぽい子どもだったから、習いはじめて1年後くらいにはもう完全に惰性のモードに入っていて、小学生のころは練習なんて週1回のレッスンの時間以外まったくしなかった。教室に通いはじめてから数年が経つころ、母は往生際のわるい私の覚悟を問うかのように、「(それまではレンタルしていた)バイオリンをいよいよ買うか、習うのを綺麗さっぱりやめるかどちらかだ」と言った。私はその気迫を前にしたらなぜか血迷ってしまって、バイオリンを買ってくださいお願いしますと母に頭を下げた。
自分の楽器を手にしてからも私は怠けつづけた。それで結局、弾けるんだか弾けないんだかよくわからない、というもっとも悪い状態で大人になり、あっさりとバイオリンをやめた(そのあたりはこのエッセイに以前書いた)。
ところがさいきん、いろいろあってバイオリンをやりなおしたくなり、柄にもなく熱心に練習したりしている。練習といっても賃貸住宅では思うようにできないので、基本的には音楽スタジオに通っている。そのスタジオがめちゃくちゃおもしろい話はまた今度します。
バイオリンというのは左手の楽器だと長年思っていた。けれどどちらかというと右手、とみせかけて肩甲骨をどうあやつるかの楽器なのだとようやく気づく。右手で弓を持ち、左手で指板をおさえる。弓が弦の上を滑っていくとき、音のスピードや強弱をコントロールしているのは右手の指、というより手首や腕と肩甲骨で、それらのパーツにかける負荷をすこしずつ変えながら弓の重みを分散させていく。その分散がうまくいかないと弓が跳ねたり震えたりする。
濁りのないきれいな音を出したいと思ったら、弓を常にコントロールできていないといけない。だからいま、4本の開放弦でひたすら同じ音を出しつづけるという耐えがたく代わりばえのない練習をしている。ゆっくりと、鉄道博物館の模型の汽車が走るみたいな速さで弓を動かし、ソーーーー、レーーーー、ラーーーー、ミーーーー、とやっている。それをやりこんだら音階練習にうつる。
だんだん自分の音のうすさや濁りに失望し、かつて習った曲が弾きたくなってくる。いちおう、ハンガリー舞曲とかエクレスのソナタとか、定番の曲なら指づかいだけは覚えている。弾きはじめると、やっぱりたのしい。曲が弾けることはなによりの喜びだと思う。だから左手がひとりでに覚えているビブラートもかける。かけはじめると、すべての音が崩れ、弓が跳ね、ぜんぶおしまいになる。その繰りかえし。
だから私がいますべきことは、かつて習ったバイオリンの構え方の、弓の持ち方の、ビブラートのかけ方を忘れ、このたのしさに抗うことなのだと思う。頭ではわかっていてもつい速弾きとかしたくなってしまう。愚かめ。いろんなことを変えなきゃいけない、と思いながら譜読みにつかっていた鉛筆をもち、覚えたてのやわらかい持ち方で弓を持つようにそれを掴んでみる。上下に動かしてみると落ちそうになり、小指がつっぱる。つっぱらせることではじめて鉛筆が安定する。これじゃいけないと思う。いけないと思いながら、まだ同じ持ち方をしている。変わることがこわい。それがいつかおもしろくなるまでこの記録をつづけていたい。
2023.6.13
起きてカレーを食べる。鍋に近寄ると明確にきのうとは違う匂いがした。きのうのカレーもきのうのカレーで苛烈なうまさだった、「家庭でこんなカレーができてしまうなんて」と恋人が若干からだを震わせながら告げてきたくらいに。きのうもオイスターソースだとかヨーグルトだとか入れたらしかったのだけれど、きょうはきょうでまたいろいろ足したという。
冷蔵庫に残っていた肉じゃがもそのなかにいるよと聞いて大胆さにおどろく。カレーと肉じゃがといえばフロントマンは同じだけれど音楽性のまったくちがうバンドみたいなもので、私ならすでに完璧な均衡を保っているカレーに肉じゃがを足してあたらしい風を吹かすという選択肢はたぶん選べない。半信半疑で味見するときのうと同じかそれ以上においしく、このひとのこういう冒険心がマイナスに作用するところを見たことがないなと思う。私はきのう、これバイバインで16倍に増やしたいなとか保守的すぎることを考えていたのに。
図書館にいく。仕事を進めるつもりがノリで手にとったアストル・ピアソラの評伝を熟読してしまう。ピアソラがアルゼンチンとニューヨークというふたつのルーツを持つひとであることはぼんやりと知っていたが、マル・デル・プラタ→ニューヨーク→マル・デル・プラタ→ブエノスアイレス→パリ→ブエノスアイレス→ニューヨーク……と想像以上に移住をくりかえしていて、これは家族大変だったろうなとか素朴に思う。後年、タンゴの黄金期であった1940年代を回顧してピアソラが言ったという言葉があまりにロマンティック。「神はブエノスアイレスの空を飛び、その手で街に触れた。1940年当時のブエノスアイレスは、まるで奇跡そのものだったよ」。
交響楽的なアレンジを演奏にとりいれたせいで伝統的なタンゴの信奉者たちの目の敵にされていたピアソラは、当時所属していたトロイロ楽団でもものすごい嫌がらせを受けていたらしい。バンドネオンのケースにゴミを詰め込まれるとか。それに対抗するため、ピアソラは仕事用の鞄に「爆竹、痒くなる粉、スティンク・ポンプ(潰すとやたらと臭いだけのカプセル)」を常備していたのだそう。なんかものすごく悪戯のうまいひとだったみたいですね。
評伝を半分くらい読んで図書館の下の喫茶店でサンドイッチを食べていると、ガラス戸の向こうのタイルの上を雀が一筆書きみたいに歩いていた。こちらが見ていることには気づいていないようだった。人間がいないとこんなに悠長に歩くのかねと思う。帰り道、うしろを歩いていたひとにゆったりとした日本語ですみませんと声をかけられ、外国の方っぽい、道聞かれるのかなとふり向くと、そのTシャツ、バンドのですよね。私も好きなのでつい。急にすみません……といわれる。そのひとははにかみつつ、言葉の途中からフェードアウトするように私を追い越して横断歩道を渡っていった。あ! あはは、そうです、とはにかみで応えただけの一瞬の邂逅。MONO NO AWAREのTシャツを着ていてよかった。
はじめての整体にいく。いまの家に去年引っ越してきてから、定期的にかよう鍼灸院は早々に見つけたものの整体は決めかねていた。初回クーポンが使えたのでとりあえずいちど行ってみよう的な動機。施術の途中から、担当してくれた院長らしき方の回数券営業の圧がものすごく、ひと言ひと言に内臓が冷えていくような感覚があった。フリーランスなので仕事の時間に決まったルーティンがないとこちらが話した直後、ところで1週間のなかでいうと30分くらいお時間がとれる日って何日くらいありますか、と訊かれ、なんて卑怯な訊き方なんだと戦慄してしまう。
つまりは(1回30分の施術に)今後どのくらい通えますかということで、神経をとがらせながら話のゆくえを見守っていると、でしたら週に2回6ヶ月がひとまずシホさんの目標ということになりますが、こちらを定価料金で通うと○万円ほどになってしまうんですね。これってちょっと……そうですよね、高いですよね。でも大丈夫です、うちにはこの頻度をこちらの料金で通われているお客さんはいませんので。それで回数券というのがあって、この券を使うと○万円が1回あたり○千円ほどになるんですね。きょうこちらを買っていただくと割引がきいて……、滔々とつづく。30分の自由時間が週に何度とれるかという話がひとまずのシホさんの目標へと巧妙にすり替えられている。よく練られたマルチ商法のトークスクリプトみたいな話法じゃないか、こんな気分の悪いやりかたをするならむしろ施術もめちゃくちゃ下手であってくれよ、どうしてこんなに上手なんだと涙が出そうになる。ぜったいになにも感じない、こんなことに傷ついてたまるかと腹に力を入れると矯正されたばかりの骨盤がまっすぐに立って気持ちいい。
けっきょく回数券を中途半端な回数分買ってしまった。私はいつもこう、外面ばかりがいい、毅然と断るということがずっとできない、いまだってただ背筋がまっすぐなだけ……と自分に呪詛を吐きながら家までを歩く。そうしていたら徐々にほんとうにつらくなってきて泣いてしまう。ていうかここさっきMONO NO AWAREのTシャツのひとに会った道だな、ここですれ違ったら激気まずいな、と考えて必死で嗚咽をとめる。帰ると恋人がFFの新作の体験版をしている。途中でコントローラーの手をとめてこれまでのあらすじを話してくれるのだが、クリスタルの加護を受けた弟が、とかクライヴに宿った召喚獣がじつはね、という言葉に理不尽にいらだち、ほとんど聞き流すように聞いてしまう。
対抗するようにゼルダの続きをはじめたけれど、どう返していたら週2回30分の罠にはまらなかったんだと考えてしまってまったく集中できない。たいていの強引な営業はスケジュールがなかなか読めないので、のひと言でかわせるけれど、あの訊き方はやっぱりどう考えたって卑怯だよな。吟遊詩人のひととかだったら回数券営業されることないんだろうな、とハイラルの暮らしに漠然とあこがれる。
干しぶどう理論、冷たい輪切り状のなにか、アマレット
2023/1/--
駅まで歩いていたら長蛇の列が見え、イヤホンを外す。行列は、ひと月前に閉店したはずのちいさな肉屋から伸びていた。え、なに、なんでいま、とスピードをやや落として通り過ぎようとすると、高齢の店主がのれんの向こうから出てきて、列に並ぶ客ひとりひとりの顔を覗き込むようにしてなにか話しかけている。「ごめんなさいね、きょうはもうなくなっちゃって。あしたまたやりますから」と聞こえた。
すこし前にひとから聞いた話では、閉店の知らせを聞きつけてしんみりと店を訪れたところなんだかふつうに営業している、というシーンに2、3回居合わせ、無粋を承知で店主に事情を聞いたところ、「もうすこしやることに……」と申し訳なさげに言われたらしい。
歩きながらGoogle Mapをひらくと、マップ上にはすでに閉店のピンが立っていた。行列に並ぶひとたちをじっと見ていた店主の顔を思い出し、あれは閉店詐欺とかそういうんじゃないだろうなと思う。10年くらい前、バナナマンの設楽さんが、どれだけお腹いっぱいでこれ以上なにも入んねえわ、ってときでも干しぶどうひと粒なら食べられるでしょ、ということは干しぶどうひと粒ずつなら永遠に食べつづけることができてしまうんだね我々は、とラジオで言っていたことがあって、それ以来、干しぶどう的な時間というか、締めの甘い蛇口からぽつぽつと垂れる水みたいにつづくものを見てしまうと、そういう予感がすると、ちょっと不安になる。けれど気持ちとしてはすごくわかる気もする。あしたもあけなきゃって思っちゃったらしょうがないよな。
2023/1/--
整体にいく。駅前のロータリーを空気のよどんでいる側に曲がり、さらにいくつか暗~い通りを抜けた先の雑居ビルにある。さいしょに口コミを調べたとき、立地や雰囲気に関する悪い感想が延々とつづいた先に「しかし腕はグッド」と書いてあるのを見てああもうぜったいに行きたいと思ってしまい、それから10回は通った。エレベーターのドアがあくと目の前に電源コードの巻きついた古いガールズバーの看板があり、それをちょっと押しのけて降りないといけない。居抜きだとしてもだよ、と毎度思う。
首から肩、顔をほぐしてくれるコースみたいなものを選ぶ。担当してくれるひとによってやることのバリエーションがどうやらかなり違うというのにさいきん気づいた。思い出せる限りで、
- 激しい蒸気の出る美顔器のようなものを鎖骨~顔に向けてあてる
- 鎖骨と脇を含む揉みほぐし
- 二の腕を含む揉みほぐし
- 小顔ローラー
- にんじんの香りのクレンジングバーム
- 頭をほぐす際に髪をひっぱる
- 激しい力でおこなわれる頬~顎のマッサージ
- 冷たい輪切り状のなにかを目の上にのせる
- 高温のホットタオル
- 保湿後のティッシュオフ
というのが体験したことのあるオプション的な施術の種類なのだけれど、2は担当のひとによってはかなりくすぐったく、6はただ怖く、7はすごく気持ちいいこともあれば、顔の上をプラレールの車両が走り抜けていくみたいな痛さのときもあってギャンブル性がある。ぎゅっと目をつむっているので8の正体はいまだにわからない(おそらくきゅうり)が、マッサージベッドに横になってウリ科めいた匂いを感じているとき、こういうのでおもしろくなっちゃうから私はだめなんだよなとけっこうまじめに落ち込む。きょうは1/4/7/9/10の日、わりとスタンダードでほっとしたけれど、ティッシュオフははじめてだったのでおどろき、「ティッシュオフ!」とかるく叫びそうになった。
2023/2/--
そこそこ久しぶりに行った店のマスターが、顔を見るなりまだまだ寒いですねえ、そういえばことしはちゃんと厄除けに行きましたよ、と、さっきの話のつづきですけど、みたいな感じで接してくれる。カウンターのうしろに並ぶボトルにいくつか知らないのが増えている、知らないブランデーと知らないブランデーのあいだでラフロイグ何種かがぎゅうぎゅう詰めになっており、どういう理論かわからないがまとめてうれしい。
音楽をかけない店で、ほかに客がいないとその無音が際立つ。私には店内BGM過激派という側面があり、あきらかに店主が好きで流している音楽であればなんであれ歓迎するのだが、ジブリのボサノヴァバージョンとかがぞんざいに流れているのが好きになれないから、無音はありがたい。しかもその店、均一にうす暗く、携帯の電波も入らない。やりますねえ! と思う。
どんな話がきっかけだったのか、はじめてバーでカクテルを飲んだときのこと覚えてますか、とややはずかしいことを聞くと、マスターがそれはもううれしそうに顔を明るくして、ええ覚えてますよ、と言った。いまはなくなってしまった赤羽の店だったというので驚く。初バーが赤羽! オーセンティックな店ではないけれどカジュアルすぎもしない絶妙な店だったという。
当時まだハタチか21そこらで、バーってものに一気にはまっちゃって、おんなじカクテルを頼んでたらマスターに顔を覚えてもらえるんじゃないかなんて思って、ゴッドファーザーばっかり飲んでたんです、とマスターがいう。店主は引き際がうつくしい人でした、ある日いつもみたいに店の前まで歩いていったら、看板ごとなくなってたんです。だれにも言わないで閉めちゃったみたいです、もう、あのときは愕然として──というところまで聞いて、思い出したようにマスターが表の看板をしまいにいく。戻ってきてこうつづく。
自分がカウンターに立つようになってときどきゴッドファーザーをお出しすることがあると、アマレットのボトルをあけたときに漂ってくるあの香りでもう、そこの店のことを思い出すんですね。香りって記憶の引き金になるってよく言いますよね。いや、いい店だった。そこのゴッドファーザーはいっとう美味しかったですね。
そんな話を聞かされて飲みたくならない酒飲みがいたら教えてほしいのだけれど、ごめんなさいつい、と伝えてゴッドファーザーを頼む。その店は決まってティーチャーズだったんですが代わりにバランタインで、といいながらグラスにスコッチをそそぐマスターの顔の半分は暗さで見えず、知らない店に転生したみたいだった。差し出されたゴッドファーザーの佇まいの完璧さにちょっとひるみながら口をつけ、そうだ、甘いカクテルだったと思い出す。私にもこれをはじめて飲んだ店があったはずで、けれどきょうからはアマレットの香りを嗅ぐたびにこの味が蘇ってしまうと予言のように思う。それからもうなくなってしまったいくつかのバーの話をし、むかしの恋人の悪口を言うみたいに赤羽のだめなところを言い合い、2杯飲んで帰った。
(何百回目かの)不安のこと
2021.7.24
あかるさ/しずけさ
2021/4/24
駅前で夕食代わりにチョコバナナパフェを食べた帰り道、大通り沿いのバーの看板が点いていたので入る。店内には先客がふたりいた。店主が立つカウンターのうしろに目をやると、顔なじみの酒瓶に混じって知らないラベルがたくさんあった。久々に会った友だちの髪が思ったより伸びていたときみたいで驚く。増えましたよね? と聞くと「酒屋さんいま大変なんでたくさん入れちゃいました」と店主。
店に来るのは私もずいぶん久しぶりで、18時なのに窓の外はあかるい。隣の学習塾から出てきた子どもたちが店の前を走り抜けていくのを見ながら「本日はいかがいたしましょう」なんて言われるのは変な気分だった。あまりしゃべらずサッと飲んで帰ろう、と思い、マスクをしたまま店主のうしろの棚をぼんやりと眺める。せっかくなのでたくさん入れちゃった酒からなにか飲みたいと思って、見たことのないジンを頼んだ。
カウンターに並んだほかの客は黙っていた。ときどき「同じの」とウイスキーやジンの瓶を指さして、「ソーダ?」「いや、ロック」というような会話が交わされるだけだ。全員スマホを見ていた。店主はたまにしずけさに耐えかねたのか、店のBGMにあわせて小さく踊るまねをしていた。
途中で「忙しいよもう全然時間がないんだからきょうは」と入ってきた客は、注文しマスクをとるとマラソンの給水みたいなペースでマティーニをしずかに飲み干し、しずかに出ていった。見ていると、緊急事態宣言で閉まる前に行きつけの店に順番に訪れ、いい酒を飲み(あるいは飲まずに持ってきた土産だけ置いて立ち去り)、挨拶して出ていくという飲みかたをしているであろう人たちが何名かいた。全員示し合わせたように、飲んでいるあいだ無言だった。
もともとしずかな店だけれど、こんなにも誰もしゃべらない日があるのか、と驚くほど誰もしゃべらなかった。いつも聞き役に回ってくれる店主がめずらしくいちばん饒舌で(言うまでもないけれど彼はずっとマスクをしている)、なんだかそんな店の様子に感慨深くもなっているようだった。私に出したジンの説明をしたあと「こんな説明も2週間できなくなる……」と言った。
神戸の出身なんですけど、僕は阪神淡路大震災を経験してるんですね、と店主。
子どものころだからあんまり覚えていないんだけれど。そのときにダイエーってあるでしょう、スーパーの。あそこの創業者が当時、焼け跡になった街を見て、「残った店はとにかくなんでもいいから店をあけろ。灯りがなければ街は死んでしまう」って、めちゃくちゃになった店頭でどうにか物を売ったんですって。それ僕ね、どこで聞いたのかわからないけど、すごく記憶にあるんです。もちろん感染対策もするし社会の状況も見ながらその都度考えなきゃいけないんだけど、できるだけ店はあけとこうってそれ聞いて思ったんです。
という話の中ごろからこちらはすでに泣きそうで、しかし泣くとマスクを外さなきゃいけなくなるのでこらえていた。じつはすこし前、偶然店の前ですれ違ったほかのバーの店主からも似たような話を聞いていた。その店主は、店の看板を灯す理由を「光っているものはなんであれあかるいから」と言った。
こう書くことで非難されないための予防線を張っているとかではなく、ほんとうに妙なくらい全員黙っていた。カウンターの端に座る客が擦った火でテーブルがあかるくなり、店の外が暗くなっているのに気づく。遅れてマッチの匂いがした。2杯飲んでいたから、そろそろ出ようと思って店を出た。店主に「なんか最終回みたいで泣きそうです」と言われて笑ったけれど、あれは冗談でも否定するべきだったといま書いていて思った。
店の外で「じゃあまた」「また」と店主に挨拶をして帰った。走り書きだけれど、この日のことはどうしても書き残しておきたかった。