湯葉日記

日記です

だめな季節

むかしから7月頭に向いてなくて、この時期がくると鬱っぽくなってしまう。見る夢のほとんどが悪夢だし、そのくせいちど寝ると10時間は起きない。


雨の音、というか雨があたる街の音を聞きながら眠っている。私の家の目の前は大通りで、朝方になると運送業者のトラックがたくさんやってくる。窓を閉めきっていても、トラックが濡れたアスファルトの上を走り抜けるシャーッという音が聞こえてくると、それで朝がきたことがわかる。クーラーをつける。


シーツを被ってうす暗い天井を見ている。晴れた日にはかならずカーテンの隙間から入ってくる透明のオーロラみたいな光が、雨の日には見えない。目をつぶる。長くて小さい音や短いけれど大きい音が代わる代わる聞こえて、そのたびにいま外を通っていったトラックの姿かたちを想像する。 


もういちど寝てしまおうとするけれど、壁の向こうからうっすらと聞こえる子どもの声で眠れない。隣の部屋の老夫婦は金曜日になると孫を呼びよせてマンションで遊ばせている。元気な子どもの声を聞いていると、この子もいつか梅雨がくるたびに鬱になる人間になるのではと考えてしまってくるしくなる。どうかならないでほしい。間違ってもフリーランスのライターなんか選ばないで。壁を叩かれた音で一瞬ビクッとする。

 

 


また天井を見ていたら、きのうの夢をとつぜん思い出す。夢のなかで私は怪我をしていて、二の腕にできたかさぶたを剥がそうとしていた。引っかいて半分くらい剥がしたら傷あとはもう薄い桃色になっていて、その表面に黒い点のようなものが並んでいるのが見える。

ほくろかな、とか思いながら虫眼鏡で見てみればそれは文字列で、しかも知っているひとの筆跡だった。ぎょっとして虫眼鏡が落ちて割れる。なんて書いてあったかも覚えているけれど、ほんとうになってしまったらこわすぎるからここには書かない。

 

 


雨。雨の音にいらだつ。窓に背を向けて寝返りをうつと、枕からきのうの夜つけた香水の匂いがする。森の奥の秘密の池に100年浮かんでいる蓮みたいな大好きな香りの香水なのだけど、調子のわるい日に嗅ぐと入水のイメージが頭から離れなくなってしまうので最悪。

雨は音も視界もにおいもまとめて世界の明瞭度を容赦なく引き上げるので、見て見ぬふりをしていたものごとの輪郭もだんだんくっきりとしてくる。ついてしまった嘘や執着、あらゆる種類のうしろめたさが私の内臓を冷やしてゆく。

 


つらさに体ぜんぶを掴まれてしまう前に、きのう行った新しい109のことを必死で思い出す。ピンク色の踊り場にかけられたハートの鏡、おジャ魔女どれみのコラボTシャツ、SPINNSでかかってた「どこまで行っても渋谷は日本の東京」、生田衣梨奈ちゃんのギャルコスプレ、葵プリちゃんのインスタ。

13歳でどきどきしながら歩いた渋谷はもうたぶんどこにもなくて、代わりに「GOOD VIBES ONLY」とか書かれたネオン看板が光る街に変わったけど、それはそれでわりと泣いちゃうほど美しかったこと。


そういうことにばかり意識を集中していると雨の音が聞こえなくなってきて、どうにか体を起こそうと思える。仕事の電話をかける必要があったことを思い出して、枕元に置いたチューハイを体をねじってひと口飲む。

 


夜になれば眠る口実ができるから、ほんとうははやく夜になってほしい。日が落ちてもしも眠くなかったら、109で買ったすいかの香りのグロスをつけて出かけようと思う。私の気分をどうこうできるのは私だけなので、グッドバイブスオンリーをかき集めて死にそうな7月を乗りきる。梅雨に負けない。