湯葉日記

日記です

笑顔チャンピオンだった日

リクルートが派遣スタッフ向けにAIを使った「笑顔研修」を始めたというニュースを見て、某テーマパークでアルバイトしていたときのことを思い出した。AIからじゃないけれど、私も笑顔研修を受けたことがある。
 
特定されてしまう可能性があるのでボンヤリした書き方になるが、2015年前後に働いていた。テーマパークで働いている人というのはおおよそそのパークの大ファンか接客が生きがいみたいな人なのだけど、私はテーマパークのお姉さんというのを人生で一度くらいはやってみたい、という好奇心でそこにいた。
 
働くことが決まったあと、配属先の希望を3つ出した。キャラクターの中の人(着ぐるみ)、グッズショップのスタッフ、インフォメーションの順番で出したら第3希望だったインフォメーションに配属されることになった。インフォメーションとは入園ゲートに立ってチケットを確認したり迷子の放送をしたり道案内をしたりする人たちで、パークの顔にあたるのでけっこう緊張する。
 
研修がぜんぶで何回あったかは覚えていないが、アッこんなたくさんやるんですねとちょっと面倒になるくらいの回数と長さではあった。全体研修が終わったあと、インフォメーションやショップスタッフといった「お客さまと会話をするのが仕事」の部署の人たちだけが呼ばれ、いわゆる接客のイロハを学ぶ日が何度かあった。そのなかの1回に笑顔研修はあった。
 
 
 
「じゃあこれからみなさんにはとっておきの笑顔人(えがおびと)になってもらいます」と研修先の先生が言った。
笑顔人という言葉にこちらがなにか感じそうになるより先に、その人は左右の口角をキッと上げ、両方の手をおへその下で組んだ。
彼女が腹話術のように口角を上げたまま「こんなふうに笑ってみてください」と言うと、研修会場からは「オオオ……」という感嘆の声が上がった。
 
笑顔研修はたしか、その日6時間ほど続いた研修のラストのプログラムだった。私ふくめパークのスタッフたちは皆疲れていたし、その疲れのせいで軽いハイになっていた。だから皆、「最高の笑顔を!」と先生に言われて最初こそは照れたり「なんか宗教っぽいすね……」と戸惑ったりしていたが、だんだんと「最高の笑顔」という言葉が集団的に妙なツボに入ってしまって笑い出した。
 
「ヤバ……これめっちゃはずかし……アハハ」
「高橋さんいいですねえ、最高の笑顔!」
「アハハハ」
「ほらいま、最高の笑顔ですよ!」
 
先生の「有無を言わせず人を笑わせる力」はものすごかった。皆はじめは間違いなく恥ずかしさで笑っていたが、だんだんと自分が「最高の笑顔」になることが大事な使命であるように思えてくる。会場からは快活な笑い声の響きがだんだんと消えていき、先生の「いいですねえ!」「すてき!」「最高の笑顔!」という声だけが残った。5分ほど経つと、口角をキッと上げた完璧な笑顔人が40人ほどできあがっていた。
 
「これからは数人ずつのグループに分かれて、みなさんの笑顔チェックをしてもらいます」と先生は言った。
そこで5人の女子たちのグループに入った私は、先生がストップウォッチで15秒を計るあいだにこにこと笑い続けた。
 
「生湯葉さんいい笑顔!」
「すっごいさわやか!」
「道聞きたくなっちゃう!」
 
ボディビルの大会のようなかけ声が響く。ほかの女子の笑顔チェックの番でも同じことが繰り返された。私たちはもはや照れてなどいなかった。
それではグループのなかで笑顔が特に最高だった人をひとり選んでください、と先生から声がかかると、グループの4人は私を推した。
 
各グループから1名ずつが選ばれ、計8人が会場のホワイトボードの前に立たされた。
 
「このなかから今日の笑顔チャンピオンを決めますよ!」
 
先生が言う。8人が15秒ずつ笑い、私が笑顔チャンピオンになった。
 
 
 
白土くんはインフォメーションの中で唯一の男子だった。その日、研修の別会場で私は白土くんに頭を下げられていた。
 
「笑顔つくるの苦手で……すいません……」
「つくるとかじゃなくて笑うんですよ」
「いや……つくってるじゃないすか……」
 
最後の研修を前に「笑顔が暗い」と先生に指摘された白土くんに、笑顔チャンピオンである私が笑顔の指導をすることになったのだ。
楽しいこと考えればいいんですよ、と言うと、白土くんは「ハイ……」と言ったきり余計笑わなくなってしまった。
 
「白土さん、大学生ですか?」
「ハイ……」
「私も。パーク好きなんですか?」
「ふつうです」
 
パーク内で「そうなんですよ~!」という答えにしか出会っていなかった私は、そこで初めて彼に親近感を覚えた。
 
「私もふつう。ていうか研修で初めて来ました」
「エッ、初めてなの!? すごい、インフォメーション向いてるね……」
「ありがとう。でもそんなことないよ」
「笑顔すごいうまいじゃん……」
 
笑顔うまいじゃん、と言われてすこしカチンときた。なにを考えて笑っているのかと聞かれたから、「パークに来てくださるお客さまのことだよ」と言ったら「エッ怖……」と下を向いていた。なにしてるんだろう? と思ったら、白土くんは笑っているのだった。
 
「笑ってる! もっと前を向いて笑って!」
「いやだよ」
「そんなんじゃ笑顔チャンピオンになれないよ!」
 
私が声を張り上げると、白土くんはパーカーの長袖に顔を埋めるようにして笑った。震えている。
つられて私も笑ってしまって、ふたりでしばらく爆笑した。爆笑の波がおさまると、私はまた心を鬼にして笑顔チャンピオンになった。
 
「白土くんもっと笑って!」
「もう俺いいよ、チャンピオンになれなくてもいいよ」
「だめだよ。チャンピオンにならないと」
「ていうかチャンピオンて……?」
「なに?」
「呼んでないよ。自分がチャンピオンだって思ってるから返事したよねいま」
「ごめん」
 
ふたたび爆笑の時間があり、その波がおだやかに引いていくと、白土くんはまた下を向き、笑いながら「無理だ」と言った。
 
それから白土くんは研修期間でパークを辞めてしまった。たぶん辞めてよかったのだと思うし、彼が辞められたのだから、私が笑顔チャンピオンでよかったと思う。