湯葉日記

日記です

狐の祭りに参加する

じつは20年前から狐に憑かれているのだけど、住んでいる街の近くで狐の祭りがあると聞いて縁を感じ、行くことにした。祭りは大晦日の晩から深夜にかけて続くという。誘ってくれた友人とその祭りで年を越す約束をして、年末を待っていた。
 
30日、朝方に眠っていたら、人のいない小道をひとりで歩く夢を見た。小道の行き止まりには赤い鳥居があって通れないので、その手前にあるフェンスを乗り越えて大通りに出ようとしたら体が急に固まる。手を伸ばそうとしても動かなくて、うしろからなにかが近づいてきているのだけが気配でわかった。一刻も早く人のいる通りに出て助けを呼びたいのだけど、うしろからきているものが人間じゃないのであんまり意味ないかもしれないなと思う。なぜか四方が鳥居に変わっている。
 
目を覚ましたとき、ありがちっぽい夢だけれどタイミングがタイミングだけにやばいと感じた。翌日、大晦日の朝にも同じ夢を見たので怖さのあまり泣いてしまう。けれど友人と約束をしているし、怖いからといって祭りへの参加は断念できない(私ひとりの祭りではないのだ)。彼女がくる昼過ぎまでにはまだ時間があったので、とりあえずその前にお雑煮の出汁をとることにしてキッチンに立った。
 
 
 
父方の叔母が亡くなったのはもう20年前のことだ。私は叔母のことをほとんど覚えていないのだけど、私の誕生日プレゼントに霊魂とか転生とか書かれた絵本を何度も贈ってくるので、そのたびに母が家で困っていたのはよく覚えている。
 
父方の実家は稲荷神社だった。叔母が新興宗教にはまって稲荷の鳥居やら狐の石像やらを壊してしまったというのがいつのことだったのかはよく知らない。ただ、神社が解体されてしまった年の冬、実家で飼っていたおとなしい犬が発狂したように吠え始めてご近所さんから苦情がきたという話は当時よく聞いた。犬は結局同じ年のクリスマスイブに首輪を噛みちぎって逃げてしまって、それからもう二度と戻ってこなかった。私も見たことがあるのだけど、タケという名前のすごくいい犬だった。「タケは山に帰った」と叔母は言っていたらしい。
 
叔母は7人きょうだいの長女で、神社を壊してからしばらくして亡くなってしまった。それからそのひとつ下の弟が叔母と同じ歳で死に、その下の弟も妹も、その次も同じ歳で死んだ。みんな同じ歳で死ぬことに一家が完全におののき始めたころ父の番がきたのだけれど、父だけはなぜか無事にその歳を乗り切った。
 
……という話を飲み屋ですると盛り上がるので、なにかオカルトや都市伝説のネタがないかと振られたときはよくしてきた。「じつは父の一家が狐に憑かれていて」と話し始めると絶対に場が沸くのでありがたかった。
 
けれど半年ほど前、ゴールデン街の飲み屋で叔母の話をしてから「父だけはなぜか助かったんです」と言うと、その日の店長だった方が「狐って末代まで呪うってよく聞くじゃないですか、だから子どものいるお父様だけは“生き残らされた”んじゃないですか」と言った。末代? とすこし考えてから、「話すんじゃなかったです」とだけ伝えた。私はひとりっ子で、子どもをつくる予定もない。ということで私はいま末代としておそらく狐に憑かれたまま生きているので、足を運んだ先の神社にお稲荷さんがあると念入りにお参りするようにしている。
 
 
 
 
狐の行列というのがその祭りの正式名称だ。江戸時代、大晦日の晩になると関東じゅうから集まった狐が装束を整えて王子の稲荷神社に詣でていたという伝承があるらしく、その伝承をもとにした伝統行事なのだという。祭りの参加者は和装に狐の面をつけ、狐火の提灯を持ってぞろぞろと歩きながら稲荷神社を目指す。
 
じつは和装行列の申し込みには間に合わず、その輪に入ることは残念ながらできなかったのだけれど、周囲で見物している参加者も狐面をつけるのは自由ということで私たちも簡易的な狐になることにした。友人は趣味で狐面を集めているので、祭りのために狐面を持ってきてもらうことにした。
 
 
 
鍋の火を止めてうたた寝していたら友人がきた。お雑煮の続きをつくって食べたり日本酒を飲んだりうどんに蟹を乗せて食べたりしながら、こういう生活がずっと続いたら楽しいなあ、と思った。
 
途中、買い出しをするためにマンションの玄関を出るとき、正面ではなくサイドの花壇の脇を抜けて通ると近道になると教えたら、友人が悪い顔をして「ふーん……なかなかツウじゃん」と言うので爆笑してしまった。それからタガが外れたようになにを見ても面白くなってしまって、蟹を見ては笑い、日本酒に浮かんだ金箔を見ては笑い、ゲラゲラと笑い続けて夜がきた。
 
紅白歌合戦をBGMに、目と口を真っ赤に塗る化粧をする。狐面をつけている上、友人はチャイナテイストの、私はゴシック感のある黒い服を着ていたこともあって、「私たちいま狐っていうかバンギャっぽくなってるよね?」と確認し合う。せっかくだからバンギャっぽい記念写真を撮ろうという話になって、友人が狐のかたちにした両手をおもむろに顔の前でクロスしたので涙が出るほど笑った。自撮りをしながら、もしも私が私に憑いている狐だったらこの時点で迷わず私を絞め殺していると思うから、私に憑いている狐はやさしいと思った。
 
 
 
家を出ると、寒さで息が白い。歩いても歩いても祭りの気配はしなかった。ポケットに手を入れると、ラップにくるんだ塩とトルコ料理屋で買った謎のお守りが指先にふれて冷たい。どちらも念のためと思って持ってきたもので、もしも急に私が鳴き出したり人の言葉を理解できなくなったりしたら塩をまいてくれ、と友人に伝えていた。謎のお守りはおそらくなんの役にも立たない。これじゃなくてホッカイロ入れてくればよかったと思う。
 
しばらく進んでいくと遠くの商店街のアーケードの下がぽつぽつとオレンジ色になっているのが見えて、あそこから先が祭りだな、とわかった。近づいていくと狐火の提灯がすこしずつ増えてきて、しだいに狐面をつけた人たちが通るようになり、外国の観光客の人たちも多く、道はすぐににぎやかになった。
 
篝火にあたったり出店のホットワインで暖をとったりしながら、稲荷神社を目指して歩き続ける。年が明けるまでにはまだ1時間ある。寒くて寒くて、指先からすこしずつ体のいろんな部位の感覚がなくなり始めていた。2日連続で見た夢のことを突如思い出してすこし怖くなる。
 
線路にかかる高い歩道橋を通るとき、息を吸おうと上を向いたらちょっと引くくらい星が出ていた。星すごいきれい、と思わず立ち止まって叫ぶ。「ほんとに星? 向こうに見える東横インじゃなくて?」と聞かれて東横インの明かりの反射だったらどうしようと思ったのだけど、無事にちゃんと星だった。友人も上を見てうわっほんとだ! と叫んでくれたのでうれしくなる。電車がきてしまうと風が吹いて寒さが強くなるから、その前に急いで歩道橋を渡りきった。
 
歩き続けて足の感覚がゼロになったころに神社についた。0時ぴったりから始まる初詣のための列にはもう人が並び始めていたから、私たちは年内に先に済ませちゃおうか、と隣の列に並ぶ。参拝の番はすぐに回ってきた。
 
お賽銭を投げ入れるときはどうしようなにを祈ろう、なにも考えてなかった、と思ったのに、手を合わせると自然に浮かんでくるのは周りの人たちの健康のことばかりだった。狐や祭りや信仰みたいなことは一瞬頭から消えて、すこし前に手術を終えて退院した父のことをごくふつうに考えた。家族ができるだけ元気になりますように、と願ったあと、2019年に会った人たちのことを思った。自分にとって2019年はしんどい年だったけど、しんどさを一緒に背負おうとしてくれたり楽しさに意識を向けようとしてくれた人たちがいたし、なによりも、しんどさはしんどさとして存在しているままでもやっぱり生きていてよかったという気持ちになるできごとがたくさんあった。道端に寝て車が轢いてくれるのを待っていた数年前の夜のことを笑い話として人にできる年がくるなんて思わなかった。思い浮かんだすべての人たちがすこしずつ健康であってほしい。
 
 
 
参拝を終えて行列の到着を待っていたら、寒さもあってか、おしくらまんじゅうのように人が固まってきた。前後左右からいろんな国の言葉と一緒に1 minute、というささやきが聞こえる。遠くのほうがざわつき始めたのを感じて思わず横を見ると、友人が「東横インじゃなくて?」と言う。
 
東横インじゃなくて、新しい年が近づいてきているのだった。誰かが口火を切ると、そわそわしていた人たちが一気にHappy new year、と言い始めた。私たちもすこしだけ戸惑ってから英語で言って笑った。人にもまれて落ちてきた狐面をかぶり直す。こんなにもあっけなく、うれしく、2020年がきた。