食道がない
笑顔チャンピオンだった日
ふり返らないタイプのひと
このごろご飯が最後まで食べられない。なにを食べていても半分くらいで眠気がしてきて残してしまう。食欲がないというよりもものを噛んで飲み込む気力がない。
気力を司る部位をアルコールで麻痺させればどうにかなるんじゃないかとも思っていたのだけど、どしゃ降りの夜、思いきり酒を飲んでから入った日高屋のタンメンも最後まで食べられなくてだめだった。コンビニまで歩くための傘を貸してほしいと店員に言おうか迷っていたらテーブルが混んできてしまい、しかたなくぱっと会計を済ませ針のような雨が降る商店街を走って帰った。店を出るときに視界に入ったタンメンはスープを吸いきって見たことのない食べものになっていた。
ひとりで飯食うの慣れてないんじゃないの、と友だちは言った。ひとと喋りながら食べてるときってご飯は脇役じゃん、だからなんかいままでは勢いで食べれちゃってたんじゃない?
そんなことある? と聞きながら目の前のフォーを口に運ぼうとして、あ、たしかにいま私はこのフォーを勢いで食べていると思った。向かいの席に座る友だちはすこし前に婚約破棄をしてひとり暮らしをはじめたばかりだった。
フォーっておいしい? なんか食感弱いし半透明で謎じゃない? と言われて、いやガパオライスのほうがワンプレートでぜんぶ済まそうとしてて謎じゃん、と思わず言い返した。友だちはえ〜とか言って笑っていたけれど、私はお手洗いに立った瞬間になんだかすごく失礼なことを言った気がしてきて、席に戻るなりさっきガパオライスのこと悪く言ってごめんねと謝った。
いや俺ガパオライス考えたひとじゃないからいいんだけどと彼は言った。いいんだけど、別れたひともトイレ行ってるあいだに自分の言動ふり返るタイプだったんだよね懐かしい。
言われた瞬間に頭のうしろがヒヤッとして、そのひとのそういうとこどう思ってた? と反射的に聞いていた。……うーん、やさしいなって思ってた、やさしいから途中から正直なめてて喧嘩とかぜんぶ向こうが謝ってくるの待ってたよ。
友だちが別れてしまった相手とはいちどだけ会ったことがあった。友だちとそのひとと向かい合って3人で酒を飲んだとき、そのひとがずっと私のグラスの減りかたに合わせてハイボールを飲むペースを調整していたのを覚えていた。飲みの直後には食パンの絵文字つきのラインが1通だけきた。しゃべりかたや視線の配りかたからも、すごく気をつかう人なのだと思った。
その話をあとから友だちにしたとき、あれ本人無意識らしいよと言われてエエッとなった。いちど、あんまり気つかわないでいいよと言ったらそんなつもりはないと怒られたという。
もしかしたら気をつかっちゃうのが癖になってるひとなのかもねと言うと、あーうん癖だと思うと友だちも言った。でもなんかそういうの続くとさあ、心許してくれてないのかなこのひとって思ってしまわない?
いや、なんらかの必要性からそういうふるまいを身につけようと努力して、いつからかほんとうにそれが自分自身のふるまいになっちゃうってことあるじゃん。そのひとはそのひとで心許してよって言われるのストレスだと思うよ。
はっきりとは覚えていないけれど、だいたいそんな意味のことをそのときは言ったと思う。いまふり返ると、いちどしか会ったことのないひとの内面を勝手に代弁するみたいな言葉でかなり気持ち悪い。
彼は私の謎の抗弁を聞くとうーんとうなってから黙り込んで、でも気をつかわないのを癖にしてかないとだれとも付き合えなくない? と言った。
タイ料理の店を出たら雨だった。適当に左を向いて歩きだしたら、えっマジでやってんの駅そっちじゃないよ? ばかなの? と友だちが言った。
私は大マジで歩いていたからちょっと恥ずかしかったし、内心、そんな冷たい言いかたしなくてもいいじゃないかとも思っていた。もし私なら謝る、ぜったいにすぐ謝るぞと思ったけれど、彼は意に介していない様子で傘を開いた。
夜はひとりでご飯を食べる予定だった。そう伝えると、彼は突如はっとした顔で私のほうを向き、え、もしかしていま実は鬱とかだったりする? だいじょうぶ? と言った。いや炭水化物食べられないだけでパフェとかならめちゃめちゃ食べれるから大丈夫だよ、と笑いながら言ったら、じゃあさっきの話なんだったんだよと彼は怒った。
彼がほんとうに怒っているのか、デリケートっぽい話にそれ以上踏み込む気がないことを示すためのポーズをとってくれているのかはわからなかった。けれどもし私が彼ならたぶん、さりげない理由をつけてもっと話を聞こうとしてしまうと思ったから、それをしない友だちはやさしかった。
彼は誰かに電話をしながらJRの改札に消えていった。私はひとを見送ってからじゃないと帰れなくて、相手の後ろすがたが見えなくなるのをいつも見ている。それから眠るために電車に乗った。
魔女について私が知っていること
これより海中
8月の最終週になるとコンビニに花火が売っていないなんて知らなかった。すべての棚をなんど確かめても、そのニューデイズにはUNO以外の一切の玩具がないのだった。
店の外のガラスに背を預けてぼんやりと立っていると、人波の向こうに友だちが見えた。こちらに気づいて手を振る彼女の反対の手首にはうすいビニール袋が提がっていて、そこから星マークのロゴの缶ビールが2本透けている。歩くたびにフラミンゴのかたちの大きなイヤリングが耳もとで揺れる。
半笑いで近づいて行こうとして幾度も人にぶつかりそうになった。平日の千葉駅の構内で友だちと私だけが異様に彩度の高いワンピースを着ており、場からあきらかに浮いていた。
鈍行列車のボックス席でビールを飲みながら喋った。窓から見える風景がパチンコ屋、ドラッグストア、ラブホテルの三原色だったのが、列車が千葉から南に向かうにつれすこしずつ色を失ってゆき、しだいに草花の淡い緑だけになった。数秒で抜けてしまう短いトンネルが増えてきて、視界が暗くなるたびに耳が律儀につんと詰まった。
陸橋を通るとき、光る川を見下ろしながら「水がたくさんあるのが好きなんだよね」と友だちが言った。私も大きな水のかたまりならなんでも好きだから、うれしくなる。
グーグルマップに従ってしばらく歩く。かきあげようとした髪に指がなかなか通らなくて、風のなかに潮が混じってきているのだと気づいた。歩き続けていると遅れて海の匂いがした。
なにかの最終回みたいな朽ちたトンネルのなかを進んでいるとき、ほんとうに突然、興奮とさみしさに一気に襲われた。泣きだしそうになってしまって、私きょう鞄にシャボン玉入ってるんだよね、と脈絡なく大声で言った。
前を歩いていた彼女が私を振りかえり、無言のまま背負っていたリュックを腹側に抱えなおした。まさか、とその時点で笑いそうになったけれど、実際に見るまでは笑うまいと思ってこらえた。
リュックからスッと出てきたのが剣みたいに長いシャボン玉だったとき、不意をつかれて笑ってしまった。サイズ感!と叫ぶと彼女もゲラゲラ笑った。笑い声がトンネルじゅうに反響して、その重なりを聞いていたらもっとさみしくなってくる。
トンネルのさきの道にはまるで人影がなかったから、iPhoneから音楽を流しながら歩いた。全曲シャッフルにしていたら若者のすべてが流れてきて、ピアノの一音目で情緒がくるう。真夏のピークが、という志村の歌い出しに被せるように「あーもう」「あーこれは」と言い合った。車をよけて道の右端を歩いたり真ん中を歩いたりするたびに、スピーカーの音が揺れて大きくなったり小さくなったりした。
正面に海が見えて、一直線に坂を下りた。カーブを曲がってのろのろと坂を上ってきたトラックとすれ違うとき、運転席のおじさんに呼び止められる。ここね進入禁止だよ、怒られちゃうよ。すいませんと言って来た坂をまた上った。いまのひと漁師っぽかったね焼け方が、と話していたらあっけなく海岸に着いた。
強い風に煽られながら海中展望塔を目指した。遠くのほうに、海から生えた灯台のような背の低いたてものと、そこに向かって伸びる白い橋が見える。橋を渡りはじめると、演歌のPVの背景みたいに視界の両端で波がざぱんと打ち上がる。風速計のプロペラは止まっているように見えたけれど、そうではなくてものすごい速さで回転しているのだった。轟音と波が橋脚をなぐる振動で橋のうえはほとんど嵐だった。
展望塔の扉を閉めたときにお互いの笑い声がようやく聞こえた。一周するのに30秒もかからないであろう狭い塔はその真ん中が螺旋階段になっていて、 地下につながっていた。
病院を思わせる青い階段を降りる。ぐるぐると回遊し続け、酔いそうになったころに手書きのプレートが頭上に見えた。これより海中、とプレートにはあった。
強風の影響で水はにごった色をしていた。潜水艇のようにくり抜かれた楕円形の窓が塔の360度をとり囲んでいる。先にいた子ども連れの4人家族は、私たちの姿を見るとしずかに階段を上って地上に戻っていった。
窓に顔を近づけると魚の群れがいた。しばらくイシダイやマダイの泳ぎ方を観察していたけれど、魚サイドからしたら私たちのいるこちら側が水槽なのだ。いま急に窓が割れたら私たちは海の藻屑になる、と妙な迫力で友だちが言う。
魚の通らない窓もあった。その窓から外を見ていると、光が筋になって海中に入ってくる場所があって、そのはじまりをたどると水面だった。
むかし、ツイッターの質問箱に「小さいころ、空を飛ぶ感覚を知ってたんです」というメッセージを送ってくれたひとがいた。いまとなっては飛べなくなってしまったじぶんの筋肉量の少なさが歯がゆいとそのひとは嘆いていて、文章はこう続く。私の頭のなかでは、腕を振るだけで大きな団扇を上下に振ったみたいな抵抗がないと飛べるはずがないんです。その抵抗があったとき、どう腕をしならせたらうまく体を浮かすことができるのか、知っているのにできない。水に浮かぶのとはちょっと違って、あれよりもう少しだけ内臓が自由になって、胴体の軸が心もとなくなるせいで、いまにも体がくるくる回りそうで。
揺れる水面を窓から見上げていたら、なんども読み返したせいで覚えてしまったその文面が頭をよぎった。そのひとの言っていたことはたぶん正しい。私も小さいころ、光が届かないくらい深い海の底を泳ぐ感覚を知っていて、その感覚がとても似ているものだったから。
勝浦のコンビニなら花火売ってないかなあと友だちが言った。私は実をいうとあのメッセージを送ってきてくれたのが彼女だったらいいと長いあいだ思っているのだけれど、たぶん違うし、本人には伝えていない。海中には30分いた。
だめな季節
むかしから7月頭に向いてなくて、この時期がくると鬱っぽくなってしまう。見る夢のほとんどが悪夢だし、そのくせいちど寝ると10時間は起きない。
雨の音、というか雨があたる街の音を聞きながら眠っている。私の家の目の前は大通りで、朝方になると運送業者のトラックがたくさんやってくる。窓を閉めきっていても、トラックが濡れたアスファルトの上を走り抜けるシャーッという音が聞こえてくると、それで朝がきたことがわかる。クーラーをつける。
シーツを被ってうす暗い天井を見ている。晴れた日にはかならずカーテンの隙間から入ってくる透明のオーロラみたいな光が、雨の日には見えない。目をつぶる。長くて小さい音や短いけれど大きい音が代わる代わる聞こえて、そのたびにいま外を通っていったトラックの姿かたちを想像する。
もういちど寝てしまおうとするけれど、壁の向こうからうっすらと聞こえる子どもの声で眠れない。隣の部屋の老夫婦は金曜日になると孫を呼びよせてマンションで遊ばせている。元気な子どもの声を聞いていると、この子もいつか梅雨がくるたびに鬱になる人間になるのではと考えてしまってくるしくなる。どうかならないでほしい。間違ってもフリーランスのライターなんか選ばないで。壁を叩かれた音で一瞬ビクッとする。
また天井を見ていたら、きのうの夢をとつぜん思い出す。夢のなかで私は怪我をしていて、二の腕にできたかさぶたを剥がそうとしていた。引っかいて半分くらい剥がしたら傷あとはもう薄い桃色になっていて、その表面に黒い点のようなものが並んでいるのが見える。
ほくろかな、とか思いながら虫眼鏡で見てみればそれは文字列で、しかも知っているひとの筆跡だった。ぎょっとして虫眼鏡が落ちて割れる。なんて書いてあったかも覚えているけれど、ほんとうになってしまったらこわすぎるからここには書かない。
雨。雨の音にいらだつ。窓に背を向けて寝返りをうつと、枕からきのうの夜つけた香水の匂いがする。森の奥の秘密の池に100年浮かんでいる蓮みたいな大好きな香りの香水なのだけど、調子のわるい日に嗅ぐと入水のイメージが頭から離れなくなってしまうので最悪。
雨は音も視界もにおいもまとめて世界の明瞭度を容赦なく引き上げるので、見て見ぬふりをしていたものごとの輪郭もだんだんくっきりとしてくる。ついてしまった嘘や執着、あらゆる種類のうしろめたさが私の内臓を冷やしてゆく。
つらさに体ぜんぶを掴まれてしまう前に、きのう行った新しい109のことを必死で思い出す。ピンク色の踊り場にかけられたハートの鏡、おジャ魔女どれみのコラボTシャツ、SPINNSでかかってた「どこまで行っても渋谷は日本の東京」、生田衣梨奈ちゃんのギャルコスプレ、葵プリちゃんのインスタ。
13歳でどきどきしながら歩いた渋谷はもうたぶんどこにもなくて、代わりに「GOOD VIBES ONLY」とか書かれたネオン看板が光る街に変わったけど、それはそれでわりと泣いちゃうほど美しかったこと。
そういうことにばかり意識を集中していると雨の音が聞こえなくなってきて、どうにか体を起こそうと思える。仕事の電話をかける必要があったことを思い出して、枕元に置いたチューハイを体をねじってひと口飲む。
夜になれば眠る口実ができるから、ほんとうははやく夜になってほしい。日が落ちてもしも眠くなかったら、109で買ったすいかの香りのグロスをつけて出かけようと思う。私の気分をどうこうできるのは私だけなので、グッドバイブスオンリーをかき集めて死にそうな7月を乗りきる。梅雨に負けない。
鳩と視線
強くなろうなんて人生で思ったことがない。けど、毎日は勝手に私のことを少しずつ強くしているみたいで、このごろは初めてのひとの前で文字を書いても手が震えたりしなくなった。
友だちもそうみたいだった。大学1年のとき、同じバンドのボーカルだった彼女はいつも豹柄のスキニーを履いていて、気丈で、こちらの軽いボケにツッコむときにだけ二人称が「おまえ」になった。私は彼女にそういうとき「おまえ」って呼ばれるのがわりと好きだったけど、男の子にそう言われるのは許せなかったから、なんでだろうとずっと考えていた。たぶん、彼女がそういうふうに私を呼ぶたびに、ちょっとだけ(いいんだよね?)みたいな目をするからだった。
こちらが爆笑すると彼女はほっとした顔をした。不安ならやめればいいのに、とも思ったけど、なんとなく、キーボードの子がいつも呼んでくれる「しほりん」と同じくらい、彼女の「おまえ」はうれしかった。
練馬には鳩が多くて、スタジオの帰りの電車を待つホームにも、やつらはよくクルッポクルッポと入ってきていた。
彼女は鳩をすごく怖がった。鳩が近くにくるたびにギャッと叫ぶので、私はホームの端まで歩いて何度もそれを追いやった。よく怖くないね、と言われたけど、私にはあんな小さくて呑気な鳥が怖い彼女のことが不思議だった。
電車のなかでは、決まってその日のスタジオで聴いた彼女の声を思い出していた。歌がすごくうまかったし、なにより、歌ってるときの彼女は無敵って感じの顔をしていて、それが大好きだった。
いちど、イントロでボーカルが絶叫する曲をコピーしたことがあるのだけど、歌い出す前は「叫び…?」「叫びに音程とかある?」とずっとオロオロしていた彼女が、曲が始まった途端にアンプが壊れるぐらいの音圧で叫んだのが忘れられない。20秒くらい絶叫は続いて、自分のギターの音が聴こえなくて笑っちゃったし、最高だからそのまま練馬区ごとぶっ壊してくれと本気で思った。
私が軽音部を辞めることになったとき、ほかのバンドメンバーや部長や慕っていた先輩の前では泣いたのに、彼女の前では泣けなかった。飲み会の席で隣りに座って、「ごめん」まで言った瞬間、彼女が先に泣き出したからだった。
泣き上戸の私が笑うしかなくなっちゃったくらい彼女は大声で泣いた。私はあなたがボーカルで幸せだったと伝えたらもっと泣いたので最後はずっと抱き合っていた。ほかの部員から見たらたぶん意味不明なテーブルだった。
部員はみんな優しいひとたちだったので彼女が孤立するようなことは絶対にないとわかっていたけど、もし、彼女が彼女なりに世界と対峙するために身につけていた豹柄や二人称やサディスティックなキャラが彼女そのものだと思われてしまったら、そして彼女自身がそれを自分だと思い込んでしまったらきっと辛いだろうなと思って、「これからも友だちでいてほしい」とだけしつこく伝えた。
それから8年経った。久しぶりに会った彼女は職場のひとに恋をしていた。
好きなひとの話をする彼女は可愛かった。0時あがりのシフトだからふざけてシンデレラと呼ばれているという話をしてくれて、「靴落としてったら探してくれますか? って聞いたら、新宿じゅう探すね、って言われた」とはにかみながら言う。
新宿じゅう探すね! 恋愛の最初期にしか飛び出ない語彙は、聞くだけで血管がカッと開く感じがする。私だって新宿じゅう探されたい。
彼女のこれまでの恋と比べても、なんかいまはすごく楽しそうだった。彼女がすこし前までよく会っていた、若干モラハラ感のするひととの縁が切れたっぽいのもほっとしたし、仕事も肌に合っているみたいだった。
あと私ね鳩怖くなくなったんだよね、と彼女は言った。いままでなんで怖かったのと聞くと、ちょっと考えたあとに「鳩より弱かったんだと思う…」と言う。
彼女はバンドのときとは違うフェミニンなロングヘアで、あのころよりずっとか弱そうだったし困ったみたいに眉を下げて笑う癖はそのままだったけど、生まれたてみたいにまぶしかった。
お茶をして、洋服を見てプリクラを撮った。
いまの彼女は自分に似合う服をよく知っていて、それは少しだけだけど私も同じだった。彼女はピンクベージュの、私は青緑っぽい、おそろいのワンピースを着てみたらどちらもよく似合った。「それで来た?」「それで来たでしょ」と言い合って試着室のカーテンを閉めたあと、鏡に映る自分を見てみたらほんとうにこれで来たみたいだった。
夏だからギャル服着たくない? という話になって、ギャル服ってどこ? セシルマクビーじゃない? というゼロ年代的感性でショッピングモールの端まで歩いた。
セシルマクビーはINGNIみたいになってて、別にもうギャル服じゃなかった。きわどいオフショルとかミニのタイトスカートとか、私たちの思うあのころのギャル服はもうたぶん、東京のどこにもなかった。
代わりに入った靴屋で、彼女は淡い色のサンダルを買った。すごい、似合うよなんてわざわざ言わなくても彼女はそれを知っていたけど、それでも気が済まないから世界一似合うよと言った。
雨のなかを帰った。電車で彼女とのプリクラを見返すとうれしくなった。プリクラは平成が終わるときに冗談で撮り出したらほんとうに楽しくなってきて普通に趣味になってしまったのだけど、なにがそんなに楽しいのかいまでもよくわからない。ただ、撮ったのを忘れていた写真が急にポケットから出てきたりすると、カメラロールのなかからそれを見つけたときよりもずっとうれしい。
プリクラとスマホを握って改札までの道を歩いていると、すれ違うひとと目が合う。背筋を伸ばしてみるとニットの生地が背中にあたってくすぐったい。すれ違うひとにちょっと微笑まれた気がして、横に崎陽軒の赤い看板が見えて、ああ世界、美しいなと急に思う。呼吸を止めてしか浅草線までの改札を歩けなかった高校生の私に、もう駅怖くないよ、足震えないよと呼びかけてみる。
強くなることが鈍感になることと同じだと思い込んでいたころ、なにもかも怖くて嫌いなままで大人になりたいと本気で思っていた。 いろんなものが怖くなくなってきているのを自分に許せるようになったのは最近のことだ。恋バナとか試着とかプリクラとかひとの視線とか、もうそんなにびびらないし、好きだって思えるときもある。
動く歩道の上を歩きながら、自分のヒールの音がファの#なことに気づいて、 その音から始まる歌を思い出して、気持ちよくなる。