湯葉日記

日記です

0.5人販売、ベーコン、「顔が見たい」

2020/4/5

近所の花屋さんが0.5人販売を始める。店先に花と料金箱を並べて、花を選んで料金を払った客が立ち去ると同時に店内からスタッフさんが出てきてお金を回収するシステム。店内のスタッフさんに用事があるときは店の外から電話をかけてください、ガラス張りなので外は見えます、とのこと。ゆくゆくは無人販売に移行するけれど、まずは0.5人で試してみるとインスタには書いてあった。500円玉を置くと猫の手が出てくる貯金箱みたいなしくみでかわいい。

あした行ってみようと思う。お金を払って店を離れたらふり返って、店員さんがちゃんと1.0人で存在しているのをたしかめたい。もし思ってるのと違ったらどうしよう。違ったらこわいので日記には書きません。

 

明け方から「鬼滅の刃」を一気読みしていたら昼になる。どちらかというと鬼に感情移入してしまって泣き、私も鬼になったら炭治郎に斬ってもらおうと思った。私は姑息な生き方をしているのでほとんどのジャンプ漫画の主人公のことがなんかうっすらと苦手なのだけど、炭治郎はネウロ以来の好きになれる主人公でうれしかった。

 

すこし寝て仕事を進めようと思っていたのに、フライパンで焼いたベーコンをいろんなものに乗せるゲームをうっかり始めてしまいレベル161まで行く。平たいものやカーブが緩やかなものの上にはベーコンは簡単に乗るので、鳩とか透明人間とか株価指数の上に乗せるのはすごく簡単なのだけど、鋭角なもののステージをクリアするのがめちゃくちゃ難しい。T-REX、すごい高いところにある旗、食物ピラミッドの上に乗せるのが特に大変だった。

 

夕飯の買い出しのために外に出る。スーパーの前の桜が満開だと思ったけれど、立ち止まってよく見るともう葉桜だった。おんなじように勘違いした人たちが「えっすごい咲いてる」と近寄ってきては「そうでもなかったね」と戻っていった。スーパーの明かり以外はなにもない暗い道。寒かったしマスクで眼鏡が曇っていたから、短い桜並木を歩いていると雪の日みたいだった。子どもを連れた大人と2回すれ違ったけれどマスクで誰の顔も見えなかったし誰もなにも喋っていなかった。こんなに静かな4月のなかにいたことがあったっけ、と思う。

 

本を3冊読みはじめたらどれも面白くて、もったいなくて逆に進まない。読む合間に友人たちと会いたいね、というメッセージを送り合っていたら、ある友だちが「あ~彼氏の顔が見たい」と言った。なんか新鮮に感じたのは、自分がふだん話しているときにあまり人の顔を見てないからかもしれない。「zoomじゃなくて生の顔が見たい」と言われてあんまりわかんないなあと思い、顔が見たいという気持ちをがんばって想像しようとしたけれど、あ、「声が聞きたい」ならわかる、と思った。人は自分が思うよりも五感のいろんなところで人に思い出されてるっぽい。

踏むと死んじゃう床、オンライン豪邸、フリック音

2020/4/4

雑居ビルのなかのバーに行く夢を見たのだけど、そのバーにはほかの店のなかを通らないと行けないつくりになっていた。通り抜けるために入った1階の店のマスターに「そのへん踏むと死んじゃうから気をつけてね」と言われて床を見る。ふつうの床とまったく同じ材質で、しかもきれいに磨かれていて怖かった。バックヤードに掃除当番のひとのリストが貼ってあったけど2018年4月から途切れていた。だれが磨いてたんだろう。たどり着いた7階のバーの店主はあれはうそですよ、と笑っていたけれど話しているうちに動かなくなってしまった。

 

夕方からオンライン飲み。本や香水やどうぶつの森の話ができてうれしい。私はどうぶつの森をやっていないのだけど、隣の家の住人が勝手に自分の家の焚き火にあたって帰っていくという話を聞いていやだなあと思った。村役場に相談してもらちが明かないと言うので、それは本来は行政になんとかしてもらわないとですよねという話になった。

仕事で0歳児の面倒をみている、と聞いてすごいなあと思った。0歳児が目の前にいたらなにもかもわからなくなりそう。困ったらかついでます私は、と聞いて、困ったらかついでみようと思った。

参加してくださった友だちのひとり、yoeさんのzoomの背景が軽井沢の別荘みたいな感じだったので、めちゃめちゃ豪邸じゃないですかと言ったら「たいしたことないですよ」と謙遜していてよかった。ちょうど夕方ごろの陽の光に見える背景を探したと言っていて芸がこまかい。会の終わりごろになると外は暗くて、yoeさんの画面の向こうだけが明るくきらきらしていた。山が見えた。

 

ふだんは消音モードにしているiPhoneをこのところ音が出る設定にしていて、文字を打っていても、ひとからラインがきてもコトトトとかポヤン、みたいな音が鳴る。フリック音、うるさいなと思ってたはずなのに。ラインの音がするとたぶんうれしい。さみしいのかもしれない。

アパートの幌、ステテコ、伸びる花

2020/4/3

向かいのアパートの解体工事が3月から止まっている。トラックの幌みたいな布が建物全体をつつんだまま、風が吹くと向こうに四角い区切りが透けて見えるからたぶんあれは部屋。冬、請求書の宛名書きを4回も書き間違えたのがショックでベランダに出て泣いていたとき、おんなじくらいの高さの向こうのベランダからこちらを見てる人がいた。真夜中にパジャマ1枚で泣いている女、なにかしらの怪奇に見えたんだと思う。それから何度かその人を見たけれどいまはもういない。アパートには誰もいない。

 

昼はベーコンと小松菜と筍でパスタにした。食べ終わって取材の文字起こしをしていたら、鍋に残った茹で汁の湯気と朝方焼いたマフィンの甘いにおい、焚いていたお香の煙がワッと混じって部屋が熱帯植物園みたいになった。

熱帯植物園のことを考えるといつもMugenの歌詞を思い出す。「むせ返るほど熱を帯びて吹く風はあなたの髪も揺らしてますか?」、すごいいい歌詞。ひとと手をつなぐときもMugenのことを考える。冷えた指先を温めようと自分の両手を合わせてみても僕の悲しみが行き交うだけで、というフレーズのことを思うとき、いま私の手と先方の手のあいだで悲しみの交換がされている…と感じる。行き交うことはなんにせよ救い、それが悲しみでも、とも思う。風にひるがえっているものはうつくしい、たとえそれがステテコでも、って書いたの誰だっけ。思い出せない。眠くなって寝る。

 

おととい買ったチューリップがもうひらく。蕾のときはシルエットがあまりにも単純というか、絵はがき教室初心者クラスの課題みたいな花じゃん、要素すくな、と思っていたのだけど、ひらいた中身を覗き込んでみたら想像していたよりも花柱がグロテスクに黒ぐろしていて目が合いウワッと思う。2輪あるうちのうしろのチューリップなんてたぶんひと晩で2センチくらい伸びた。怖、伸びるなら先に言ってよ。

北区の夕焼けチャイムの音質の向上、その他

春だからかインターネットの友だちたちが各所で日記をつけ始めていてうれしい。こういうときにひとの日記を読めるのはたのしいしホッとする。

私もしばらく日記を書こうと思う。飽きちゃうかもしれないけど、もし1週間続いたらえらいえらいと褒めてほしい。

 

2020/4/2

きのうから入学したり入社したりしたひとたちが周りにもけっこういて、朝、入社したての友だちから「社会はクソって言って…」と弱気なラインがきたので即返す。社会はク、まで打ったところで既読がついて「頼むまでもねえわ、クソだわ、帰ります」と返信がきたのでいいぞいいぞ!!と思った。

 

私の仕事は基本的に在宅勤務なので、年度が変わった実感がいまいち湧かない。

唯一わかるのが北区の夕焼けチャイムの音質が変わったこと。夜6時になると遠くから聞こえてくる夕焼け小焼けのメロディがきのうからハウらなくなったし、なんか高音もクリアになった。明らかに、音質が格段によくなっている気がするのだけど誰にも伝えられない。

すこし前に北区に住み始めた友だちに「北区の夕焼けチャイムの音質が向上したよね?」と連絡しようか迷ったのだけど、あ、本当にひまなんだなと心配されそうでやめた。調べてみたら新年度からデジタル音源化(※)していた。

 

きのう久々に外に出て、新しくできたスーパーの熱に浮かされて思わず牛肉600gを買ってしまった。私は湯葉とか豆腐とか茶碗蒸しとか色が薄くて軟弱な食べものが好きなので、いや、肉こんなありましても……と自分のしでかしたことに引いてしまう。冷凍してちょっとずつ食べる予定。きょうは牛丼。

 

買ったばかりのチューリップの蕾がいま見たらすこし開いていて、すごい、花はさすがです、と思う。買ったお花屋さんのインスタを見たらお店を開けようか開けまいかの葛藤について長い投稿がされていて思わずちょっと泣いてしまう。

ありがとうございます、花は光、的なメッセージを送ると、もっと安心してお花を買ってもらえるよう考えていきますとお返事があった。絶対に応援する。きょうは開きかけのチューリップを見ながら歌ったりいんげんを煮たりしている。

 

 

※ 夕焼けチャイムについて(北区HP)

https://www.city.kita.tokyo.jp/shogai_renkei/kosodate/kyoiku/chime.html

 

ガリガリ君が絶対に当たってしまっていた期のこと

10代のときものすごくくじ運がよくて、ガリガリ君を買うたびに当たりが出ちゃってた時期があった。実家のすぐそばにセブンがあって、そのセブンは私が高3のときにできたのだけど、オープン初日、地元のひとたちの行列に並んで辛いチキンとグミかなんかとガリガリ君を買ったら家に帰るよりも先にぜんぶ食べたくなってしまい、セブンの駐車場の横の塀に座って食べはじめた。そこでガリガリ君の当たりを初めて引いたのだけれど、そのガリガリ君こそが始まりのガリガリ君なのだった。


当たり棒はすぐにはアイスと引き換えず、しばらくティッシュにくるんでスカートのポケットに入れていた。なんでその場で引き換えなかったのかは思い出せないけど、たぶんオープン直後でてんてこ舞いのセブンの店員さんに無料でアイスをくださいとは言い出しづらかったんじゃないかと思っている。

 


地元に友だちがほとんどいなくて、セブンに寄るのはいつもひとりだった。駅からけっこう遠いこともあってかオープンから数週後にはもうレジ前の行列もすっかり解消されていて、もともとそこに5年くらいあったみたいな顔でセブンは営業していた。


おそるおそる店員さんに「ガリガリ君が当たったので引き換えていただけますか」と聞くと、あーと店員さんは言った。そしてそのままむき出しのでかい冷凍庫から魚をすくうみたいにガリガリ君をひとつ取り出し、手渡しでそれをくれた。家に帰って母親に「ガリガリ君が当たったから食べてもいいよ」と得意げに言ったのだけどバブル世代の母親はアイスは基本的にハーゲンダッツしか食べない人間で、そのガリガリ君は冷凍庫のなかに2週間くらい放置されていた。しびれを切らした私がそれを開けて食べるとまた当たりだった。ウワッ、と思った。

 

 


子どものころからくじ運はよくて、商店街の福引きのいい賞なんかも頻繁に引き当てていたし、家族もそれには慣れていた。けれどさすがにガリガリ君2回は尋常でないと思い、母親に「また当たったんだけど!」と興奮気味に当たり棒を見せると、母親は「あんたいつかその運使い果たしてガリガリ君の製造元で……製造元どこ? 埼玉? フーンじゃあ埼玉で死ぬんじゃないの」と縁起でもないことを言った。そういうことを言われるとすぐに怖くなる私は、これを引き換えるのはもうやめよう、やめて新しいガリガリ君を買おうと思った。


夏、部活帰りの日、高校のそばのデイリーヤマザキガリガリ君を買った。東京タワーを遠くに見ながらガリガリ君をかじっていくと、途中で「一」の字が見えてウワッ、と思った。もうひと口かじると「一本当り」の「本」の字が見え、まぎれもなかった。

 

 


その晩、ミクシィで知り合った友だちに3回連続で当たりが出た話をすると、「釣り乙」と返信がきた。釣りじゃないと熱弁しても友だちは半信半疑で、じゃあオーキャンのときにいっしょにガリガリ君買お、と言った。私たちは私大のオープンキャンパスにいっしょに行く約束をしていた。


オープンキャンパスの帰り、後楽園遊園地をちょっと覗いて、ラクーアのなかのサーティーワンでアイスを食べた。「やばガリガリ君食べなきゃじゃん」「アッ」とふたりで気づき、「私はもうアイスはお腹いっぱいだからシホだけ買って食べて」と友だちは言った。いいけどべつに、と言いながらコンビニを探した。


「いいけど、たぶんまた当たっちゃう気がするんだけど怖くない?」「え?」「ここで当たっちゃったらなんか……大丈夫かな」


そう言い始めたら私だけじゃなく友だちまで怖くなってしまって、その日はコンビニに寄らず、プリクラを撮って解散した。

 

 


大学にあがる前の春、またもやミクシィで知り合った別の友だちが、地方から東京に遊びにきていた。私たちは浅草やら渋谷やらに行ってへとへとになるまで遊んだ。ちょうど震災の年で、私たちの代の卒業パーティーやらなんやらはぜんぶなくなってしまったから、その腹いせみたいに楽しいことをぜんぶやった。


友だちが乗る長距離バスの駅に向かうまでのあいだ、電車のなかで恋バナを聞いた。「好きな人東京に住んでるんだよ」「えーじゃあ今回会えたじゃん!」「でも付き合ってないし、会うために来たみたいで重くない?」「えー」とかなんとか言いながら、私は急にアッ、と思った。


駅近くのコンビニで、バスのなかで飲むお茶を友だちが買っているとき、私はべつのレジでガリガリ君をふたつ買った。先に会計を終えた友だちが近づいてきて、「わーガリガリ君だ、2個食べるの?」と聞いてくるから「ううん1個あげる、ねえこれでもし当たりが出たら好きな人に連絡して」とすかさず言った。


友だちは店員さんにびっくりされるくらいの声でギャーッ無理だよ! と言い、なぜか大笑いしながら私たちはコンビニを出た。ありがとうねと言いながら袋を開ける友だちを見て、「私かはるちゃんどっちかが当たったらメールするルールだから」と言った。自分の分のガリガリ君をかじりながら、「なんかじつは当たるような気がしたんだよね」と言う準備はもうできていた。生まれて初めて、詐欺師ってこんな気持ちなのかもしれないと思ってどきどきした。


けれどそのガリガリ君は当たらなかった。どれだけかじっていっても「一」も「本」も「当」も見えなくて、ガリガリ君ガリガリ部分がなくなって棒を裏返してもやっぱりハズレだった。そんな、と思った。友だちの分だけは、と期待したけれど、それもやっぱりハズレだった。友だちは「わーつらいよ〜」と笑いながらバスに乗って帰って行った。

 

 


それからはガリガリ君を買わなくなった。大学2年のとき、アルバイトしていた塾の先生といっしょに近所のセブンに入って、ほんとうに久しぶりに一度だけガリガリ君を買ったらそれは当たりだったのだけど、フーン、当たるんだ、ここで、と思った。いっしょにいた先生のために「当たりましたよ!」と形だけ喜んで、当たり棒を引き換えて駐車場でもう1本を食べた。食べながら、ずっとはるちゃんの恋のゆくえのことを考えて、はるちゃんごめん、と思った。
 

狐の祭りに参加する

じつは20年前から狐に憑かれているのだけど、住んでいる街の近くで狐の祭りがあると聞いて縁を感じ、行くことにした。祭りは大晦日の晩から深夜にかけて続くという。誘ってくれた友人とその祭りで年を越す約束をして、年末を待っていた。
 
30日、朝方に眠っていたら、人のいない小道をひとりで歩く夢を見た。小道の行き止まりには赤い鳥居があって通れないので、その手前にあるフェンスを乗り越えて大通りに出ようとしたら体が急に固まる。手を伸ばそうとしても動かなくて、うしろからなにかが近づいてきているのだけが気配でわかった。一刻も早く人のいる通りに出て助けを呼びたいのだけど、うしろからきているものが人間じゃないのであんまり意味ないかもしれないなと思う。なぜか四方が鳥居に変わっている。
 
目を覚ましたとき、ありがちっぽい夢だけれどタイミングがタイミングだけにやばいと感じた。翌日、大晦日の朝にも同じ夢を見たので怖さのあまり泣いてしまう。けれど友人と約束をしているし、怖いからといって祭りへの参加は断念できない(私ひとりの祭りではないのだ)。彼女がくる昼過ぎまでにはまだ時間があったので、とりあえずその前にお雑煮の出汁をとることにしてキッチンに立った。
 
 
 
父方の叔母が亡くなったのはもう20年前のことだ。私は叔母のことをほとんど覚えていないのだけど、私の誕生日プレゼントに霊魂とか転生とか書かれた絵本を何度も贈ってくるので、そのたびに母が家で困っていたのはよく覚えている。
 
父方の実家は稲荷神社だった。叔母が新興宗教にはまって稲荷の鳥居やら狐の石像やらを壊してしまったというのがいつのことだったのかはよく知らない。ただ、神社が解体されてしまった年の冬、実家で飼っていたおとなしい犬が発狂したように吠え始めてご近所さんから苦情がきたという話は当時よく聞いた。犬は結局同じ年のクリスマスイブに首輪を噛みちぎって逃げてしまって、それからもう二度と戻ってこなかった。私も見たことがあるのだけど、タケという名前のすごくいい犬だった。「タケは山に帰った」と叔母は言っていたらしい。
 
叔母は7人きょうだいの長女で、神社を壊してからしばらくして亡くなってしまった。それからそのひとつ下の弟が叔母と同じ歳で死に、その下の弟も妹も、その次も同じ歳で死んだ。みんな同じ歳で死ぬことに一家が完全におののき始めたころ父の番がきたのだけれど、父だけはなぜか無事にその歳を乗り切った。
 
……という話を飲み屋ですると盛り上がるので、なにかオカルトや都市伝説のネタがないかと振られたときはよくしてきた。「じつは父の一家が狐に憑かれていて」と話し始めると絶対に場が沸くのでありがたかった。
 
けれど半年ほど前、ゴールデン街の飲み屋で叔母の話をしてから「父だけはなぜか助かったんです」と言うと、その日の店長だった方が「狐って末代まで呪うってよく聞くじゃないですか、だから子どものいるお父様だけは“生き残らされた”んじゃないですか」と言った。末代? とすこし考えてから、「話すんじゃなかったです」とだけ伝えた。私はひとりっ子で、子どもをつくる予定もない。ということで私はいま末代としておそらく狐に憑かれたまま生きているので、足を運んだ先の神社にお稲荷さんがあると念入りにお参りするようにしている。
 
 
 
 
狐の行列というのがその祭りの正式名称だ。江戸時代、大晦日の晩になると関東じゅうから集まった狐が装束を整えて王子の稲荷神社に詣でていたという伝承があるらしく、その伝承をもとにした伝統行事なのだという。祭りの参加者は和装に狐の面をつけ、狐火の提灯を持ってぞろぞろと歩きながら稲荷神社を目指す。
 
じつは和装行列の申し込みには間に合わず、その輪に入ることは残念ながらできなかったのだけれど、周囲で見物している参加者も狐面をつけるのは自由ということで私たちも簡易的な狐になることにした。友人は趣味で狐面を集めているので、祭りのために狐面を持ってきてもらうことにした。
 
 
 
鍋の火を止めてうたた寝していたら友人がきた。お雑煮の続きをつくって食べたり日本酒を飲んだりうどんに蟹を乗せて食べたりしながら、こういう生活がずっと続いたら楽しいなあ、と思った。
 
途中、買い出しをするためにマンションの玄関を出るとき、正面ではなくサイドの花壇の脇を抜けて通ると近道になると教えたら、友人が悪い顔をして「ふーん……なかなかツウじゃん」と言うので爆笑してしまった。それからタガが外れたようになにを見ても面白くなってしまって、蟹を見ては笑い、日本酒に浮かんだ金箔を見ては笑い、ゲラゲラと笑い続けて夜がきた。
 
紅白歌合戦をBGMに、目と口を真っ赤に塗る化粧をする。狐面をつけている上、友人はチャイナテイストの、私はゴシック感のある黒い服を着ていたこともあって、「私たちいま狐っていうかバンギャっぽくなってるよね?」と確認し合う。せっかくだからバンギャっぽい記念写真を撮ろうという話になって、友人が狐のかたちにした両手をおもむろに顔の前でクロスしたので涙が出るほど笑った。自撮りをしながら、もしも私が私に憑いている狐だったらこの時点で迷わず私を絞め殺していると思うから、私に憑いている狐はやさしいと思った。
 
 
 
家を出ると、寒さで息が白い。歩いても歩いても祭りの気配はしなかった。ポケットに手を入れると、ラップにくるんだ塩とトルコ料理屋で買った謎のお守りが指先にふれて冷たい。どちらも念のためと思って持ってきたもので、もしも急に私が鳴き出したり人の言葉を理解できなくなったりしたら塩をまいてくれ、と友人に伝えていた。謎のお守りはおそらくなんの役にも立たない。これじゃなくてホッカイロ入れてくればよかったと思う。
 
しばらく進んでいくと遠くの商店街のアーケードの下がぽつぽつとオレンジ色になっているのが見えて、あそこから先が祭りだな、とわかった。近づいていくと狐火の提灯がすこしずつ増えてきて、しだいに狐面をつけた人たちが通るようになり、外国の観光客の人たちも多く、道はすぐににぎやかになった。
 
篝火にあたったり出店のホットワインで暖をとったりしながら、稲荷神社を目指して歩き続ける。年が明けるまでにはまだ1時間ある。寒くて寒くて、指先からすこしずつ体のいろんな部位の感覚がなくなり始めていた。2日連続で見た夢のことを突如思い出してすこし怖くなる。
 
線路にかかる高い歩道橋を通るとき、息を吸おうと上を向いたらちょっと引くくらい星が出ていた。星すごいきれい、と思わず立ち止まって叫ぶ。「ほんとに星? 向こうに見える東横インじゃなくて?」と聞かれて東横インの明かりの反射だったらどうしようと思ったのだけど、無事にちゃんと星だった。友人も上を見てうわっほんとだ! と叫んでくれたのでうれしくなる。電車がきてしまうと風が吹いて寒さが強くなるから、その前に急いで歩道橋を渡りきった。
 
歩き続けて足の感覚がゼロになったころに神社についた。0時ぴったりから始まる初詣のための列にはもう人が並び始めていたから、私たちは年内に先に済ませちゃおうか、と隣の列に並ぶ。参拝の番はすぐに回ってきた。
 
お賽銭を投げ入れるときはどうしようなにを祈ろう、なにも考えてなかった、と思ったのに、手を合わせると自然に浮かんでくるのは周りの人たちの健康のことばかりだった。狐や祭りや信仰みたいなことは一瞬頭から消えて、すこし前に手術を終えて退院した父のことをごくふつうに考えた。家族ができるだけ元気になりますように、と願ったあと、2019年に会った人たちのことを思った。自分にとって2019年はしんどい年だったけど、しんどさを一緒に背負おうとしてくれたり楽しさに意識を向けようとしてくれた人たちがいたし、なによりも、しんどさはしんどさとして存在しているままでもやっぱり生きていてよかったという気持ちになるできごとがたくさんあった。道端に寝て車が轢いてくれるのを待っていた数年前の夜のことを笑い話として人にできる年がくるなんて思わなかった。思い浮かんだすべての人たちがすこしずつ健康であってほしい。
 
 
 
参拝を終えて行列の到着を待っていたら、寒さもあってか、おしくらまんじゅうのように人が固まってきた。前後左右からいろんな国の言葉と一緒に1 minute、というささやきが聞こえる。遠くのほうがざわつき始めたのを感じて思わず横を見ると、友人が「東横インじゃなくて?」と言う。
 
東横インじゃなくて、新しい年が近づいてきているのだった。誰かが口火を切ると、そわそわしていた人たちが一気にHappy new year、と言い始めた。私たちもすこしだけ戸惑ってから英語で言って笑った。人にもまれて落ちてきた狐面をかぶり直す。こんなにもあっけなく、うれしく、2020年がきた。

うどん会

28日からひとり暮らしみたいな生活をしている。父はまだ入院しているのでちょくちょくお見舞いに行くのだけど、手術のせいで声帯に傷がついたらしくあんまり声が出ないのでずっとささやき声で会話している。

父は喉をかすれさせながらも病院の悪口を延々言っていて(「お粥から液体のりの味がする」「ここは独居房か」「地獄みたいな病院だな」)、元気そうでなによりだよと安心する。父のせいでこのごろ私まで小さい声でしゃべる癖がついてしまった。

 

 

 

先週、名古屋のひとから実家に味噌煮込みうどんセットが10食分届いた。父は入院してるし母は酒飲みなのでうどんを消費できる人員がいなかったらしく、私の家にうどんセットがそのまんま届いてしまった。

段ボールに入った10食分の生うどんを見て呆然としてしまい、最初の5食はどうにか具材を工夫しながら朝、昼、夜、朝、夜と食べたのだけどもうこれ以上味噌の匂いを嗅いだら泣いてしまうというところまで追い詰められて、ツイッターでリプライをくれた友だちをきのう家に呼んだ。

友だちは笑っちゃうくらいおいしそうにうどんを食べてくれて、「僕おいしく食べるのうまいんだよね」と言われてあー呼んでよかったと思った。おかげで2食分を消費した。1食分は近所に住んでいる友だちに分けた。

残り2食分になったところで別の友だちふたりが味噌煮込みうどんを食べたいと連絡をくれたので快諾してまた家に呼んだ。冷蔵庫を開けたらうどん2玉がドーンとあっておまえの命もあと数時間だからなと上機嫌でいたら、信じられないことにもう味噌煮込みペーストがない。

どうやらうどん10食分に対して味噌煮込みペーストは8食分しかついてなかったらしく、けれど「味噌煮込みうどん会をします」と宣言してひとを呼んでしまっている以上味噌煮込みうどんをしなければ嘘になると思い、家にあった信州の白みそを使ってオリジナル味噌煮込みうどんをつくった。

こうなってくるとたくさん届いたから仕方なく、とかではなくふつうに趣味で味噌煮込みうどんをしているひとだな私は、と思って複雑な気持ちだった。できあがったオリジナル味噌煮込みうどんはペーストよりもおいしかったのでよかった。

 

 

 

友だちがうちのルンバを見て「へえ、思ったより大きいんだね」と犬みたいな扱いをしてくれたのでいいやつだなマジでと思う。彼らとこたつでみかんを食べながら孤独のグルメを見たりしていたら年末のコスプレをしているみたいで笑ってしまった。友だちのひとりが朝までうちにいてくれて、YouTubeうしろシティかが屋のコントを見たりして楽しかった。

朝の6時半、友だちをバス停まで送ったら近くのニトリのでかい看板を境目にして半分が夜、半分が朝の空になっていて冬はなんでも綺麗だなと思う。

 

 

 

きょうは大学の友だちがお昼にきて鍋をする約束をしていたのだけど、起きたら12時58分でドヒャアとなった。彼女に買い物を頼んできのうの晩の洗い物をしていたら部屋から味噌の匂いがするのに気づいて泣きそうになってしまう。「味噌以外ならなんの鍋でもうれしい」と伝えたら鍋は水炊きになった。

水炊きを食べながらドキュメント72時間スペシャルを見て、樹木葬の回でボロ泣きしてしまった。私も死んだら樹木葬がうれしいな、桜の下に埋めてほしいと思った。

友だちはそのあと好きな人に会いにいく予定があったらしくて、改札で見たうしろ姿はキラキラしていてかわいかった。好きな人に会いにいくひとを見送るのは人生のうれしいランキングベスト50に入るなと思う。

 

 

 

友だちを見送ってひとりで歩きながら、あ、なんかこれは家についたらさみしくなってしまう気がする、と思って花屋に寄った。赤い花をたくさん買う。

花を生けながら案の定さみしかった。いままでひとり暮らしというのをしたことがなくて、母と父もよくしゃべるひとたちだったからなんの音もしない家というのに慣れていないのだと思った。

マンションの上のほうの階でも意外と車の音って聞こえるんだなと思って、ずっと聞いていると頭がおかしくなりそうだったのでSpotifyT.M.Revolutionを聴くことにした。

さみしいとかあんまり思ったことがなかったけど、それは周りのひとたちがさみしくなくしてくれていたんだなと当たり前のことにびっくりした。あしたもまた友だちに会えるのでうれしい。きょうはルンバとふたりで晩酌している。