湯葉日記

日記です

私はまともな社会人になれなかった。

酔っている。勢いで書く。

23歳。大学を去年卒業した社会人1年目です。
会社を辞めるので、その話をします。

 

12月、自宅に私宛ての茶封筒が届いた。
母親が最初に手にとって、「これあんたの字よね」と言った。言われてみれば宛名や住所の字は紛れもなく私のそれだった。

中を開けてみると、卒業した高校からだった。「進路報告書」と書かれた三つ折りの紙が入っていて、「大学」と「就職先」の欄が空欄になっていた。要は、いまお前がどこにいて何をしているのか母校に対し報告せよ、という紙だ。
そういえば、高3のときに「君たちが大学を出て企業に就職した頃にこれを送るから」と宛名を書かされた記憶がある。あのときのあれか、ちょっとしたタイムカプセルみたいだと思った。

紙を前にして、正直困った。 と言うのも、私は就職していなかったから。

 

4年生のときにいわゆる就活を一切せずに卒業し、なんとなくバイト先が見つかって、ほぼ新卒組と同じタイミングでそこにアルバイトとして入社した。
なんで就活しなかったのかと言うと、なんか性に合わなかったからというのがひとつと、身も蓋もない言い方をするなら夢があったから。

夢があった。
気恥ずかしいのでここで詳しくは書かないけれど、物書きを目指していた。というかいまも目指している。
企業に就職して、安くてもある程度安定した収入を得て、その中で自分のスキルアップや会社のために頑張りたい……みたいな気持ちもないことはなかったけど、2パーセントくらいだった。いや1パーセントないくらいかも。あとの99.数パーセントが、文章書いて生きていけないなら死ぬって気持ちだったのだから仕方ない。

で、自分の書きたいものを書くために、その時間と体力を確保するために、正社員として就職するのではなくアルバイトの道を選んだ。
生活するためだから正直コンビニでも塾講師でもガールズバーでもなんでもよかったのだけど、「書く」という行為を習慣化できた方がベターだと思って、ライターでググって1ページ目に出てきたところに面接に行き、そこで働くことになった。

 

バイト先はいわゆるITベンチャーだった。
すごいアットホームで、皆アタマが良くて、20代半ばの社員がひとりで商談に行ってばりばり利益を上げたりしていた。実力主義で、声を荒らげて怒ったりする人は皆無で、とても居心地がよかった。

入って数日はお試しのような形で、いくつか短い文章を書かされた。1200文字くらい。そのくらいのボリュームの文章には慣れていたので、わりにスラスラ書けた。
ITのことは何ひとつ分からなかったけれど、ショートカットキーさえもまともに使えなかったけれど、いちいちググりながら分かったような顔で書いた。
私の文章に目を通した社長は、「悪くないね」と言ってくれた。最初はばんばん直しが入るものだと思っていたから、その言葉は素直に嬉しかった。

 

それから3ヶ月くらい経過する。
気づいたら、私はライターのリーダーみたいになっていた。
小さい会社なのでライター自体数人しかいないのだけど、他のライターや在宅ライターの文章の修正/校正のようなことを、すべて私がやっていた。
会社が運営している複数のWebメディアの主要コンテンツはほぼ私が書いていたし、企画も構成も取材も、そのための交渉みたいなことも一人でやっていた。

「なんだこれ」とは思ったけれど、正直嬉しかった。大学を出たばかりのなんの実績もない私に会社の大事なメディアを任せてくれるなんて、ありがたすぎると思った。
忙しいとは言えそこまでの残業は発生しないし、遅くまで残っていると社長や社員さんが「帰りな」と言ってくれた。
好きでやっていたから、全然辛くなかった。

 

辛くなかった。はずだった。
違和感を覚え始めたのは、社長や社員さんと自社メディアについてのミーティングをしているときだった。

Webメディアの記事における「役に立った度」、というか「面白度」みたいなものは、一般的にはPV数で測る。もちろんそれ以外の指標もあるけれど、一番わかりやすいものとして。
記事がたくさん見られるためには、拡散力の強い特定のジャンルの有名人に寄稿や取材をお願いするというのがまあ定石なのだけれど、そこまでお金のないベンチャーにはできないことなので、ちょっと「狙った」記事が必要になる。
有用性<話題性 の記事。簡単に言うなら「バズる」記事。

そのミーティングのテーマは、記事をバズらせるためにはどうすればいいか、というものだった。
私がいくつかアイデアを出したら、社長は「じゃあとりあえず書いてみて」と言った。え、そんなんでいいの、と思った。

自分なりに試行錯誤しながら記事を書き進めていったのだけど、プレッシャーは今までの記事の比じゃなかった。いま私は「バズる文章」を書かされてるんだ、バズらせなきゃいけないんだ、と思ったら胃がズキズキした。

もちろん要所要所で社長や社員さんに相談はする。そのたびに返ってくる言葉が余計に私を追い詰めた。

「僕はライターじゃないから、ライティングのことは分からないけど」。

そうか、ここには営業の、ビジネスのプロフェッショナルは大勢いても、ライティングのプロフェッショナルは一人もいないんだ、と思い知らされた。
それなら、私がライティングのプロになろう。おこがましいけれどそう決心して、自分の手帳に小さくそう書いた(なんならグーグルカレンダーのto doにも入れた)。

でも、書いていけば書いていくほど、自分の理想と会社のそれとが、あまりにもかけ離れていることに気づく。

 

会議で「在宅ライターの文章の校正をどうするか」が議題に挙がったことがあった。前述したように校正はすべて私がやっていたので、「この作業にこのくらいの工数がかかるから、時間はこのくらい見てください」という話をしたら、「5分くらいでできないかな?」と社員さんに言われた。
5分て。5分でできるのって、誤字脱字のチェックくらいだ。それだと内容は読めないですけど…と言ったら「まあそれでも」と彼が言う。
腹が立って、校正する原稿を印刷してきて、「これ読んでください。このままじゃうちのサイトに載せられないと思いませんか」と言った。
すると、社員さんはA4×3枚の原稿を目の端で一瞥して、「うん、まあアリ」と言った。

その途端、言おうとしていたいろんな言葉が喉の奥に詰まって、出てこなくなってしまった。
彼の言葉は、「良いか悪いかで言ったらあんまり良くないけど、アリかナシかで言ったらアリじゃない?」と続いた。

別の会議では、「記事がきっかけで問い合わせの電話やメールが増えるようにするにはどうすればいいか」という話をしていた。
私は、記事の結論部で露骨に商品の宣伝をしたりすることに反対だった。なぜなら自分がネットで記事を読んでるときにそれをされたら、その商品に、ひいてはそのサイト自体に悪印象を持つから。
自社製品やサービスのPRだけじゃなく、フラットな姿勢で物事を伝えてくれるメディアが私は好きだし、Webメディアのスタンダード自体が今そういうものになってきている、という感覚があった。
そんな話をしたら、社員さんが「いや、もっと宣伝に寄せてほしい」と言った。
私が「あんまり露骨にやるとステマって言われますし、読んでる方は心地悪いですよ」と言ったら、「別に、読んでて心地のいいものは求めてないんだよね」。そう彼が笑った。

 

会社に入って半年が過ぎた。
ここまでウダウダ書けばもう伝わっていると思うのだけど、私は限界だった。

社員さんはみんな優しい。怒られることもほとんどない。仕事は自分のペースで進められる。
そんな恵まれた環境で、と言う人も絶対いると思う。でも、私には限界だった。

私はメディアが好きだ。文章が好きだ。書くことが何より好きだ。
だから、書くことを仕事にさせてもらえているのは、曲がりなりにもライターを名乗れているのは、この上ない幸福だ。
ライターだから、もっと文章が上手くなりたいと思った。もっと面白いコンテンツを、もっと困っている誰かの役に立つコンテンツを生み出したいと思った。

でもどれだけ書いても、頑張って書いても、これは彼らにとっての「アリかナシかで言ったらアリ」に過ぎないのかなと毎日考えた。
社員さんは、時どき私の記事を面白かったと褒めてくれた。でも駆け出しのベンチャーだから、記事の“良さ”の指標は毎日のように変わった。PV数や滞在時間、CRV。「あれすごく良かったよ」と言われた記事でも、翌日には「でもPV数は」「コンバージョン数は」と言われて、頭の中がぐらぐらした。
私のいない会議で、社員たちが「うちのメディアは営業ツールだと割り切ったほうが……」と話しているのを聞いたりもした。

メディアが主事業の会社ではないから仕方ないのだけど、やっぱりライターは少ないし、営業さんたちは仲良しで楽しそうだった。先輩に日々いろんなフィードバックをもらって成長しているのが、はたから見ていても分かった。
私は私でたくさんのことを吸収したし、貴重な経験をさせてもらったとは心から思うけれど、それにフィードバックをくれる人はほとんどいなかった。くれることはあっても、「もっとコンテンツをよくするにはどうすればいいか」じゃなく、「もっと会社が利益を上げるにはどうすればいいか」の視点だった。
それはベンチャーとしては健全なことだと思う。でも私には、メディアが、文章を書くという行為が軽んじられているように思えて仕方なかった。

10月のある日、社員さんが「極端な話、『メディアをつくろう』とは思ってないんだよね」と言った。

 


夕方、休憩でオフィスの外に出て、コンビニのトイレで泣いた。会社で泣くのはどうしても嫌だったから、セブンイレブンの奥で。

それからは、朝鏡に向かってメイクしててるとぼろぼろ泣けてきてファンデーション全部落ちちゃって最初からやり直すだとか、最寄り駅まで行ってもどうしても通勤電車に乗れなくて、3本見送ってからやっと乗るみたいな日が続いた。

会社も休みがちになって、体調も崩した(右半身がしびれ出して驚いた)。
一番近くでその様子を見ていた彼氏には「絶対辞めろ」と言われるようになった。私も辞めなきゃなあと思いながらも、抱えているもののあまりの大きさに、いつ切り出していいものか、なかなか踏ん切りがつかずにいた。

 

 

そんなとき、届いたのが冒頭の茶封筒だった。

最初は中を見てすぐ捨てようとしたのだけれど、そこに高3のときの担任の名前が書かれていることに気づいて手を止めた。

高3当時、私はすでに、どんな遠回りをしても最後には絶対に物書きになると決めていた。
進路報告書に宛名を書きながら、「先生、私もしかしたら就職しないけど、これどうすればいい?」と担任に訊いた。
彼は、「そのときは何も書かなくていいからとりあえず出せ。おまえは生きてさえいりゃいいよ」と言った。

私がそれに何と答えたかはいまいち思い出せないのだけれど、その会話だけは鮮明に覚えていた(たぶん担任は、当時からやや情緒がアレだった私を気遣ってくれていたのだと思う)。

不意にその言葉を思い出して、私は「あ、いま辞めよう」と思った。
何日かかけて文面を作って、社長にメールした。辞めるので、お話しする機会をください、という旨を。

おまえは生きてさえいりゃいいよ。
その声が頭の中で強く響いていたので、不思議と怖くはなかった。

 

 

……というわけで、私は会社を辞めます。
次の仕事のことは何も決めていません。ただ私はいまの仕事を通して、Webライティングやメディア運営というものが大好きだと思い知らされたので、次もそういうものに携われたら幸福だなあと思います。
一から十までひとりでやれる環境じゃなくてもいいから、いいコンテンツをつくろう、そのために身を削ろうという思いで何かを書ける環境に身を置けたら、すごく幸せだと思います。

もともと自分の書きたいものを書くためにバイトを選んだわけで、現状その時間がなかなかとれていないので、次の仕事は週3程度にしておこうと思ってます。生活は多少苦しくなるかもしれないけど、やりたいことがやりたいので、私は頑張ります。

ちなみに文中の「バズる記事」を目指して書いた記事は、結局バズりこそしなかったものの、某メディアに取りあげられてツイッターはてブですこし話題にしてもらえました。

愚痴ばかりを書きましたが、いまの会社にはとても感謝しています。
大学出たばかり、ITどころか名刺の渡し方も知らないひよっこの私を採用してくれて、信じられないくらいたくさんのことを私に任せてくれました。

おかげで、私はいま胸を張って自分のことをライターだと言えるようになりました。
ライターって、なかなか数字が目に見えない仕事です。でも、費やしてきたすべての時間がカタチとして残る、稀有な職業であるとも同時に思います。

長文を読んでくださってありがとうございました。