湯葉日記

日記です

世界で唯一、その塔が見えない場所はどこか

Q. 世界じゅうのどこからでも見える塔があるとする。では、世界で唯一、その塔が見えない場所とはどこか?

A. その塔の中。

……というのはあまりにも有名なクイズで(有名度的には「正直村と嘘つき村」くらい)、ラーメンズの公演「TOWER」を観に行ったときも、劇場で配られたフライヤーにこの問題が書かれていた記憶がある。

なにかの渦中にいると、その“なにか”の全体像は見えなくなる。多くの場合。
信仰だとか依存だとか、そういったものへのある種の戒めとして語られることの多い言葉だと思う。

 


今日の朝、通勤電車でスガシカオの新しいアルバムについてのインタビュー記事を読んでいて、そんなことを思い出したのだった。
記事の中に「スガさんの歌詞は“見てない”んですよね」という一節があって、すごくハッとした。まさにその通りだ、と思った。

 

たとえば「黄金の月」。あの歌詞がなぜ私たちの心を打つ……というかズタズタにするかって、最後の
“夜空に光る 黄金の月などなくても”
というフレーズが凄まじいからだろう。
「えっ、いままで何見てたの」「月の話してたんじゃないの」感。

鮮やかな画を想起させる言葉を巧みに選んでおいて、スガシカオはいつだってそれをどこかでひっくり返す。
なぜならそれは彼の目に見えているものではなく、想像の中の産物でしかないから。黄金の月もプラネタリウムもバクダン・ジュースも、すべて架空のものだから。

 

彼はインタビューの中で、「僕は目が悪いから」とそれを説明していた。そんな物理的な話なのか、と笑ってしまったけれど、私には、自分が彼の歌詞にどうしようもなく惹かれてしまう理由がすこしわかったような気がした。

誰かに近づきすぎると、その相手のことは見えなくなる。けれど、暗闇の中にいるそのときが、私には最上の幸せに思えて仕方ないのだ。