湯葉日記

日記です

「俺の靴どこ」

「俺の靴どこ」が最後の言葉ってお母さんは折れそうに笑って


好きな短歌だ。
好きなのだけど、読むたびに胸の奥が、ぎゅうぎゅうと痛くなる。
「折れそうに」笑うその母親の顔と、おそらくその日に還らぬ人となってしまったであろう息子のぶっきらぼうな声を想像すると、思わずつよく唇を噛み締めてしまう。

 


友達や恋人と遊んでて、“なんとなく空気が悪い”日がまれにある。選んだお店が美味しくなかったとか、どちらかが翌日早いからさっさと帰りたいとか、お互いになんとなく「あ、今日なんかどっか噛み合わないな」という日。
喧嘩したとかじゃなくても、
「……でさあ」
「ん?なに?もっかい言って」
みたいなちょっとした会話の語気が、強くなってしまう日。

私はそういうとき、その空気のままで相手と別れることができない。駅に向かって歩きながら、「今日の◯◯が楽しかった」とか、「さっきのお店の人◯◯に似てた」とか、「あのビル配色へん」とか、過剰に言う。
そうすると、大概向こうも「ね」ってなる。くすくす笑い合えたりして(それが夜だとなおさら)、ちょっとだけ幸福な気持ちになる。

改札前で別れるとき、絶対に長く手を振っている側でいたい。そのとき必ず笑顔でいたい。相手が階段を上っていくのを見送りながら、そこでやっと何かに安心する。
たぶん「これがこの人と会う最後かもしれない」と、頭のどこかで常に考えているのだ、私は。

 

 

今日、ある検査のために病院に行った。
前からなんとなく感じていた体の違和感みたいなものが、朝起きたらはっきりとそこに「ある」ものになっていた。
だからすぐにネットで病院を探して、片っ端から電話をかけた。どこも決まって声の高いお姉さんが出て、「最短のご予約で3月下旬に…」などと私に告げた。

仕方ないので自由診療の病院を選んで電話をしたら、「お近くでしたらすぐにでも」と言われて、じゃあ、ということになった。コンビニで2万円下ろして、すぐにその病院に向かった。

検査はすぐに終わった。
清潔なロッカールームに通されて、検査着に着替えてロビーで問診票を書いた。書き終えてちょうどペンを浮かせたタイミングで看護師さんがにこにこと私に近づいてきた。「ではこちらに」とホテルみたいにドアを開けられて、すこし怖かった。

検査技師や看護師たちは、皆一様に慣れた手つきで私をいくつかの部屋に通した。機械に挟まれたり写真を撮られたり麻酔をかけられたりしてベルトコンベアに乗せられた魚みたいな気持ちになってたら、すべてのステップは終わっていた。ひと部屋ずつ物事が進行してゆく様は、どこか映画の「CUBE」を彷彿とさせた。

 

最後の部屋には院長が座っていた。
「たぶん良性なんですけど、悪性の可能性もなくはないので検査の結果が出たら来週また来てください」
おおよそそんな意味のことを、その人は言った。

自由診療だったそれはいつの間にか「保険適用」に変わっていて、いくらかのお金が私のもとに払い戻された。ロッカールームの鍵を看護師さんに返すとき、すこしだけ手が震えた。

 

家までの道を歩きながら、私はぼんやりと、ただぼんやりとしていた。
薬局でかかっていた高橋優くんの「福笑い」が頭のなかでエンドレスリピートしていて、何度か信号を無視しそうになった。彼氏に連絡したら「大丈夫」と言われて、頷きながらまた歩いた。男子高生がこちらをやたら見てくるのでマスクを着けようとして、そこで初めて自分がだらだらと泣いていることに気づいた。
彼氏は、いっしょに結果待とう、と言ってくれた。

 


年齢から考えても、症状から考えても、たぶん私は、死なない。
最悪のケースを考えても手術すれば済むと思うし、というかたぶん、なんともないんだと思う。でもやっぱり怖いは怖い。全然気にならない、と言ったら嘘になる。

 


これは日記だ。ごくプライベートな。だからたまにはネガティブなままで終わらせようと思う。
小心者な私は来週までびびり続けると思う。のだけど、書くことはやめない。