湯葉日記

日記です

三日月を知らない子ども

仕事帰り、駅までの道を歩く。
職場からほど近いビアガーデンの解体作業が始まっていた。天井やカウンターや大きなビールのモニュメントなど、見慣れた景色がすべてばらばらになってゆくのをしばらく立ち止まって見ていた。そのさまはまるで夏の閉会宣言だった。

サブリミナル効果みたいなものだろうか、電車に乗った途端にお酒が飲みたくなり、乗り換え駅で降りる。適当に歩いているとバーを見つけた。こういうのは勢いが大事なので、迷う前にドアを引いた。

 


ぼんやりとモヒートを飲んでいると、隣の女性が「話しかけてもいい人ですか」とこちらを覗き込んできた。「あ、いい人です」「いい人ですか。よかった」。

その女性は店の常連らしく、もう20年以上同じ席で飲んでいると言う。「地縛霊みたいなものですよね」とバーテンさんが軽口を叩くと、「いいじゃん、ボトル入れてくれる地縛霊なんて」ところころと笑った。


しばらく話していると、彼女が不意に私をじっと見て、「ねえ、お姉さん、文系でしょう」と聞いてきた。「文系です」「ね。そうでしょう」。
すこし迷うように視線を泳がせたあと、「失礼だけど、三日月って学校で習った?」と続く。ちょっと面食らった私が「たぶん習いました」と答えると、「よかったー」と相好を崩した。


彼女は自分が大学の職員だと明かしたうえで、こんな話をしてくれた。

すこし前に半期の授業を終えた打ち上げがあり、教授や学生とお酒を飲んでいた。すると一人の学生が「自分は義務教育で『月の満ち欠け』を習わなかった」と言い出し、それをきっかけに、月の満ち欠けを習った/習わなかった議論が始まった。
学生たちの話をまとめると、ほとんどの学生が授業は受けていたものの、半数近くは「上弦の月」「下弦の月」の存在は高校で知った、というのだ。

驚いた彼女が調べてみると、学習指導要領で「月の満ち欠けは最低“2つ”の月を教えればいい」とされている時期(つまりゆとりだ)があったらしい。彼女は話をこう結んだ。
「……だとしたら、極端な話“満月”と“新月”だけでもいいんだよ。そんなのありえないと思わない?」


私はまさにゆとり世代ど真ん中なので、覚えていないけれどもしかしたら自分もそうだったかもしれない、と話した。彼女は「べつに円周率がおよそ3でもいいけど、三日月を知らない子どもってねえ」とグラスの氷を見つめる。
「あ、でも、アポロ11号の月面着陸は学校で習ってないです」と私がこぼすと、彼女は「わお」と言った。

 


帰り道、月が綺麗だった。ニュースで昨日だか一昨日が中秋の名月って言ってたな、と思い出す。そういえば、私は満月がすこし欠けたその月の呼び名を知らなかった。
「大統領の名前なんてさ 覚えてなくてもね いいけれど」。名前の分からない月を見あげて、好きな歌を口ずさみながら秋の夜道を歩いた。風が気持ちよかった。