湯葉日記

日記です

旅行記その0

夜行バスの中でこれを書いている。
旅行に、と言われていくつか候補を出し合っていたら、そういえば私は7年くらいにわたって金沢に行きたかったのだと思い出した。なので金沢、と言った。

高校のころ、ロクにしなかった受験勉強の合間にも日記だけは律儀につけていたので、毎日ちまちまと書き足していた「受験が終わったらしたいことリスト」が受験が終わるころには60個くらいになっていた。そのいちばん最初に書いたのがたしか「金沢に行く」だった。

理由は明白で、当時読んだオズマガジンかなにかに21世紀美術館のプールの中で微笑むモデルさん(二眼レフを下げている)が載ってて、「アートな週末」的なキャッチコピーがついてたのを見て、健全な女子高生的感性で「絶対行く!」となったのだ。

とはいえ18歳の私には友達がとても少なく、というかそもそも人と旅行に行ける協調性がなかったので、机に向かうたびに時おりオズマガジンを開いては、あの光のプールの中にいる自分を思い描いた。そこに行きたいというよりもたぶん、そこに一緒に行ける人を探していた。

 


旅行の準備をしはじめたのは、夜行バスに乗りこむ当日、つまり昨日だった。
修学旅行以来、人と2泊以上の旅をしたことがなかった私は緊張していた。ボストンバッグにドライヤーやら本やら虫よけスプレーやらを詰めこみながら、「楽しいんだろうか」と急に不安になった。

一緒に行く人が、よく「緊張しそうな場にはノーパンで行くといいよ。なにをしててもいや自分ノーパンじゃんって思えて馬鹿馬鹿しくなるから」と言っていたので、それを応用して真夏にしか着ないスパンコールがじゃらじゃらついたロングワンピを持っていくことにした。これで生真面目な顔をしようとしても「いやこんなスパンコールついてるじゃん自分」って思える。何事も工夫だ。
「亀を頼む」と母に伝えると、「あんた平気で2日3日エサあげないくせによく言うわよ」と呆れられた。

 


仕事を終え、東京駅に向かう。
ボストンバッグを抱えて乗る地下鉄はいつもよりも狭く思えた。キャスター付きのバッグを引いているサラリーマンや親子連れを見て、この人たちもそれぞれに旅の途中なのだと不意に思った。

夜行バスの消灯時間は早かった。
周りがみんな寝静まったあともなんだか眠れなくて、そういえば私は幼稚園のときのお泊まり会でも眠れなかったなと思い出した。同級生が寝て、部屋の灯りが消え、先生たちが隣の部屋でミーティングを始めてもなお眠れなかった。

隣に座る同行者に「なんでこんな人がいるのにみんな静かなのか」と小さな声で聞くと、うん、そうだねと頷かれた。バスがトンネルに入るときだけ、カーテンの隙間から線のように光が入ってきてその横顔を照らした。

やがて夜が深くなってくると、隣の席から伸ばした私の足を荷物のように抱えて彼は寝た。私もそれからすこしだけ眠った。