湯葉日記

日記です

のどぐろとプール

夜行バスを下りると朝だった。
にやにやしながら「ここはもしかして金沢なのではないか」と言うと、同行者も「オッもしかして金沢なのではないか」と乗ってくれたので、幾度もそれを繰り返す。
飽きるまでやろうと思っていたが、彼が「まだテンションがそこまでじゃないから」とやんわりそれを制した。

駅前のスパに寄った。女湯には部活の県大会かなにかで来たらしい女子高生のグループがいて、備えつけの扇風機のコンセントを抜いて携帯を充電していた。
いくつになっても運動部の女子高生は年上に思える、という話をむかし友人にしたことがあるが、文芸部だった子しかわかってくれなかったのを思い出す。

壁を向いて湯船に浸かった。お湯が信じられないくらいぬるい。ぬるい、というか冷たい。
一刻も早く出たかったが、つい女子高生たちの反応が気になって、彼女たちが入ってくるまで待ってしまった。やがてひとりが湯に足をつけて「待って、ありえん」と言ったので満足して出た。

 


真夏日だった。
金沢駅から市バスに乗った我々は首からカメラを下げ、ボストンバッグを抱え、右手にことりっぷを持っていて、観光客のコスプレをしてるみたいだった。

金沢城公園に寄る。目の前に広がる一面の緑が、入っていい芝生なのかいけない芝生なのかいまいちわからない。
やがて外国人のグループがためらいなく芝生の上を歩いて横切ったので、「よしきた」と思って芝生に寝転んだ。寝転んだまま「我々はどこへ行くのか」と同行者に聞くと、「魚を食べる」と言うので頷いた。

すぐ近くの近江町市場に向かう。
市場の呼び込みは元気がよすぎて劣等感を刺激されるのであまり得意じゃない。借りてきた猫のように回転寿司を食べた。アジ、平目、のどぐろ。「のどぐろは美味しい」と記憶領域にインプットするように同行者がつぶやいた。

 


観光スポットはどうやらすべてバスで回れてしまうらしい、ということに気づいてすこしだけ残念だった。21世紀美術館にも呆気なく着いた。

展示の中には、けっこう好きなものと、まるでわからないものと、ものすごく嫌いなものが混在していた。ものすごく嫌いなものの話をしたいけれど、書いているそばからむかついてきてしまうので割愛する。美術をばかにしやがって。

ダミアン・ハーストのことはただの牛のホルマリン漬けおじさんだと思っていたのだけど、蝶が一面に埋め込まれたハート型の絵画を見ていたら、あ、綺麗と思った。
高校のとき「死んだらダミアン・ハーストの絵に埋め込まれたい」と言っていた知り合いがいたのを思い出して、絵の前でしばしぼんやりした。

 


スイミング・プールの周りには人だかりができていた。
カップルはだいたい彼女がプールのなかに入って、彼氏が上からそれを撮影している。上と下では互いの声が聞こえないので、撮影に苦心している人も多そうだった。
水面をのぞき込むと、プールの下にいる人たちの顔がゆらゆらと歪んで見えた。システム的には飼っている亀の水槽とほぼ同じだ。これが私が7年も夢に見続けていたプールなのか、と思うと、すこしだけ期待外れのような気もした。
振りかえるなり、同行者が「なにこれどうなってるのすごい」と言った。ちょっと嬉しかったが、きみはスイミング・プールも知らずに金沢に来たのか、と偉そうに説教する。いいから下におりろ上から撮ってやるから、と背中を押した。

 


プールの上でカメラを持って構えていると、見覚えのあるシルエットがプールのなかを横切った。彼がスマホを構えているのに気づいて、アレッと思う。写真撮ってくださいって頼まれたのか、頼まれたんだろうな。ていうかプールのなかの人同士で撮り合ってもただの水色の部屋の写真になっちゃうんじゃないのか。
撮影する彼を上からパシャパシャと撮っていたら、にわかに楽しくなってきた。いい日だ、と急に思った。