湯葉日記

日記です

練馬の公園のベンチにさえ席順はある

大学名を早慶に変えると埋まってたはずの説明会の日程が全部○になるとか、あの子陰キャのくせに急に目頭切開してきたよねとか、地方に単身赴任してるお姉ちゃんが早く結婚しろって親に言われて病みかけてるとか、そういう話のなにもかもが一気に無理になった時期があって、家を出て授業に行くふりをしてずっと公園にいた。練馬の。大学4年のときだった。

 

マウンティングとかスクールカーストとか選民意識とかそういうのぜんぶ超いやと思ってそういうの気にしない人とだけ仲良くしてたのに、意外と一歩「外」に出るとそういうのはまだまだあって、絶望しかけていた。

 

 

自分がそんなシステムの中にいることを一時でも忘れたくて、ランチパックを買って練馬の駅の近くの公園のベンチで昼過ぎからボーッとしていた。

見ていたら、ふつうに座ってるだけで鳩がすごい寄ってきちゃうおじさんがいて、どういうしくみなんだろうあれ、動かないのがコツなのかとか思いながら時間をつぶすのは至福だった。

 

 

月、火、水と3日間公園にいたら気づいたことがある。

月曜、私がなんとなく時計台のそばのベンチに座って足を伸ばしていたら、こっちを見て「チッ」という顔をする女性がいた。60代くらいで、ひとりで来ているらしかった。

 

翌日、私が別のベンチでランチパック(ピーナッツ)を食べていたら、その60代女性がまた来て、きのう私がいたベンチに座った。彼女はこっちを見て、前日とは打って変わってニッコリほほえんだ。

 

水曜、その女性と、別の知り合いらしき女性がきのうと同じベンチで談笑を始めたときにようやく、「ああ、私が最初に座っちゃったのはあの人の席だったんだ」と思った。

そのまま2時間くらい本を読みながら公園にいたら、犬の散歩の人たちやお年寄り、ホームレスの人たちなどが入れ替わり立ち替わりやって来てはにこやかに会話をしているのに気づいた。

 

そうか、練馬の公園にもコミュニティはあって、コミュニティがあったら当然「席順」もあるんだな、とわかったのはそのときだった。

そのとき突然、高校生のときに河原で花火をしようとしたら、その河原に住んでいるらしき男の人が私たちのところに近づいてきて、「花火やるなら〇〇さんに許可とんないと」と説教をしてきたのを思い出した。

 

〇〇さん、は地域のそういう管理をしている人とかではなく、河原に住むホームレスの人たちのリーダー的な人だと彼は言った。

どうしてここにいない人に私たちが花火していいかどうかを決める権利があるんだ、だいたいこの河原は花火OKのルールじゃんと私は思ったが、あれはたぶん、独断でOKしてしまったら、声をかけてきた彼があとから「〇〇さん」に怒られるからだったんだろう。

 

 

 

どうやら私たちは人がたくさんいる場所で生きている限り、席順とか上下関係とかカーストとかそういうのから逃れられなくて、あーもう本当に馬鹿みたい、人を仕分けしてなにが楽しいの? と思うんだけど、たぶん無意識のうちに自分もそういうことをしている。

 

先週から行ってるジムにはヨガのプログラムがあって、私は最初にその教室に入ったとき、クラスを仕切ってるっぽい40代くらいの女性(教室に入ってくとみんなその人に「おはようございますー」と最初に言う)に「はじめて?」と聞かれ、異常に愛想よく振る舞ってしまった。たぶん、「この人に嫌われたらこのクラスに居づらくなる」という勘が働いたのだ。

 

結局私はそれじゃない、もうちょっと生徒同士が会話しない感じのサバついたクラスを選んで通うことにしたけれど、そのくらいの打算は私にもある。

 

 

 

そういうのすべてから逃れて生きていきたいけど人と会っちゃう限りは無理で、諦めて割り切るしかないんだよなと大学の頃ぶりに悩んでいた一昨日、好きなバンドのライブのライブビューイングがあった。

 

豪雨で中止になってしまったライブの振替公演のような立ち位置のライブビューイングで、中止にならなかった1日目の映像と、中止になってしまった2日目に演奏するはずだった曲の生ライブが合わせて配信された。

 

映画館で、ビールを飲みながら友達ふたりと並んで見た。左隣にはひとりで見にきている女性がいて、時折、彼女の席から「グスッ」と鼻をすする音が聞こえた。最初はそれを抑えるようにしていた彼女が、ライブ映像が進むにつれて、嗚咽する声やキャーという黄色い声を全開にしていくのが印象的だった。

反対側の隣に座っていた友達は、(彼女自身がよくそう喩えるのだけど)南国の鳥みたいな「ギャッ」「ゥグッ」という声を上げながら映像を見ていた。

 

ライブを見ているうちに、「あ、生きててよかった」とナチュラルに思った。いま好きなバンドの歌に体を揺らしているこの時間はなによりも幸せで、この映画館にいる人たちみんながそれぞれのかたちで幸せを噛み締めていて、それは嗚咽だったり咆哮だったり南国の鳥だったりするけど、誰もそれをキモいとかうるさいとか思う人はいなくて(当たり前だ)、むしろ美しく、この瞬間がいつまでも続けばいいのになと思った。

 

 

ライブビューイングが終わったあと、映画館のあるパルコのカフェで鶏そぼろ丼を食べながら、もうひとりの友達が「音楽がね、好きなんだよね」と言って笑った。

わかる。音楽、いいよねえと思った。音楽に体を揺らす最高な瞬間は永遠には続かないんだけど、その瞬間だけがこの、なかなかにイヤな世界の中で、たしかに私たちを生かしているんだと思った。

忘れちゃいそうになるけど、それをずっと覚えていたい。