湯葉日記

日記です

2023.6.13

 起きてカレーを食べる。鍋に近寄ると明確にきのうとは違う匂いがした。きのうのカレーもきのうのカレーで苛烈なうまさだった、「家庭でこんなカレーができてしまうなんて」と恋人が若干からだを震わせながら告げてきたくらいに。きのうもオイスターソースだとかヨーグルトだとか入れたらしかったのだけれど、きょうはきょうでまたいろいろ足したという。

 冷蔵庫に残っていた肉じゃがもそのなかにいるよと聞いて大胆さにおどろく。カレーと肉じゃがといえばフロントマンは同じだけれど音楽性のまったくちがうバンドみたいなもので、私ならすでに完璧な均衡を保っているカレーに肉じゃがを足してあたらしい風を吹かすという選択肢はたぶん選べない。半信半疑で味見するときのうと同じかそれ以上においしく、このひとのこういう冒険心がマイナスに作用するところを見たことがないなと思う。私はきのう、これバイバインで16倍に増やしたいなとか保守的すぎることを考えていたのに。

 

 図書館にいく。仕事を進めるつもりがノリで手にとったアストル・ピアソラの評伝を熟読してしまう。ピアソラがアルゼンチンとニューヨークというふたつのルーツを持つひとであることはぼんやりと知っていたが、マル・デル・プラタ→ニューヨーク→マル・デル・プラタ→ブエノスアイレス→パリ→ブエノスアイレス→ニューヨーク……と想像以上に移住をくりかえしていて、これは家族大変だったろうなとか素朴に思う。後年、タンゴの黄金期であった1940年代を回顧してピアソラが言ったという言葉があまりにロマンティック。「神はブエノスアイレスの空を飛び、その手で街に触れた。1940年当時のブエノスアイレスは、まるで奇跡そのものだったよ」。

 交響楽的なアレンジを演奏にとりいれたせいで伝統的なタンゴの信奉者たちの目の敵にされていたピアソラは、当時所属していたトロイロ楽団でもものすごい嫌がらせを受けていたらしい。バンドネオンのケースにゴミを詰め込まれるとか。それに対抗するため、ピアソラは仕事用の鞄に「爆竹、痒くなる粉、スティンク・ポンプ(潰すとやたらと臭いだけのカプセル)」を常備していたのだそう。なんかものすごく悪戯のうまいひとだったみたいですね。

 評伝を半分くらい読んで図書館の下の喫茶店でサンドイッチを食べていると、ガラス戸の向こうのタイルの上を雀が一筆書きみたいに歩いていた。こちらが見ていることには気づいていないようだった。人間がいないとこんなに悠長に歩くのかねと思う。帰り道、うしろを歩いていたひとにゆったりとした日本語ですみませんと声をかけられ、外国の方っぽい、道聞かれるのかなとふり向くと、そのTシャツ、バンドのですよね。私も好きなのでつい。急にすみません……といわれる。そのひとははにかみつつ、言葉の途中からフェードアウトするように私を追い越して横断歩道を渡っていった。あ! あはは、そうです、とはにかみで応えただけの一瞬の邂逅。MONO NO AWAREのTシャツを着ていてよかった。

 

 はじめての整体にいく。いまの家に去年引っ越してきてから、定期的にかよう鍼灸院は早々に見つけたものの整体は決めかねていた。初回クーポンが使えたのでとりあえずいちど行ってみよう的な動機。施術の途中から、担当してくれた院長らしき方の回数券営業の圧がものすごく、ひと言ひと言に内臓が冷えていくような感覚があった。フリーランスなので仕事の時間に決まったルーティンがないとこちらが話した直後、ところで1週間のなかでいうと30分くらいお時間がとれる日って何日くらいありますか、と訊かれ、なんて卑怯な訊き方なんだと戦慄してしまう。

 つまりは(1回30分の施術に)今後どのくらい通えますかということで、神経をとがらせながら話のゆくえを見守っていると、でしたら週に2回6ヶ月がひとまずシホさんの目標ということになりますが、こちらを定価料金で通うと○万円ほどになってしまうんですね。これってちょっと……そうですよね、高いですよね。でも大丈夫です、うちにはこの頻度をこちらの料金で通われているお客さんはいませんので。それで回数券というのがあって、この券を使うと○万円が1回あたり○千円ほどになるんですね。きょうこちらを買っていただくと割引がきいて……、滔々とつづく。30分の自由時間が週に何度とれるかという話がひとまずのシホさんの目標へと巧妙にすり替えられている。よく練られたマルチ商法トークスクリプトみたいな話法じゃないか、こんな気分の悪いやりかたをするならむしろ施術もめちゃくちゃ下手であってくれよ、どうしてこんなに上手なんだと涙が出そうになる。ぜったいになにも感じない、こんなことに傷ついてたまるかと腹に力を入れると矯正されたばかりの骨盤がまっすぐに立って気持ちいい。

 

 けっきょく回数券を中途半端な回数分買ってしまった。私はいつもこう、外面ばかりがいい、毅然と断るということがずっとできない、いまだってただ背筋がまっすぐなだけ……と自分に呪詛を吐きながら家までを歩く。そうしていたら徐々にほんとうにつらくなってきて泣いてしまう。ていうかここさっきMONO NO AWAREのTシャツのひとに会った道だな、ここですれ違ったら激気まずいな、と考えて必死で嗚咽をとめる。帰ると恋人がFFの新作の体験版をしている。途中でコントローラーの手をとめてこれまでのあらすじを話してくれるのだが、クリスタルの加護を受けた弟が、とかクライヴに宿った召喚獣がじつはね、という言葉に理不尽にいらだち、ほとんど聞き流すように聞いてしまう。

 対抗するようにゼルダの続きをはじめたけれど、どう返していたら週2回30分の罠にはまらなかったんだと考えてしまってまったく集中できない。たいていの強引な営業はスケジュールがなかなか読めないので、のひと言でかわせるけれど、あの訊き方はやっぱりどう考えたって卑怯だよな。吟遊詩人のひととかだったら回数券営業されることないんだろうな、とハイラルの暮らしに漠然とあこがれる。