湯葉日記

日記です

ミュージカル『ヴァグラント』初日(8/19)感想

新藤晴一プロデュースのミュージカル『ヴァグラント』の初日公演を明治座で観てきました。まだ一度しか観られていないこともあり、自分のなかの感想もかなりまとまりのない状態なのですが、忘れないうちに書き残しておきたいと思ったので雑多な状態でブログに置いておきます。

 

全曲書き下ろしの新作ミュージカルの初回ということで、台詞・楽曲の歌詞については可能な限り追っていたつもりなのですが、見落としている・聞き逃しているところも多いと思います。劇中、この方の演技や表情は見逃しがちだったな……という後悔もすでにあります。そこの台詞は違うのではとか、その解釈は明確に誤っているのではという箇所があればご指摘いただけるとありがたいです。

 

ストーリーの核心にあたるようなネタバレもしますので、観劇予定の方、観に行こうか迷われている方は注意なさってください。観劇からひと晩置いていろいろ考えたのですが、ヴァグラントのシナリオに対して私自身は批判的に見ているところも少なくなく、いろいろな意見があるほうが健全だと思いますので、その点も忌憚なく書ければと思っています。

 

ですが、初日から間もないこと/前述したように私自身がまだストーリーの全体像・ディテールを掴みきれていない可能性があること/本作を観に行く予定のない方がこれを読み、不要な先入観を抱いてしまうのを避けたい思いがあること などをふまえ、本記事の一部は有料の形にさせてください。

 

先にお伝えすると、こちらの記事全体(有料部分も含む)はヴァグラントの公演終了後に無料公開しなおすことを検討しています。そのため現時点での本記事は、あくまでいま観に行こうかどうか検討されている方、すでに観劇済みの方に向けて書くものです。ややこしい形をとって申し訳ないのですが、よろしくお願いします。

 

まず、すばらしいと感じた点について。ここからは本当に雑多に書きます。

 

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主演・平間壮一さんの躍動感

 

ほんのわずかな出演作しか私は観られていないのだけれど、舞台上での平間壮一さんの身のこなしを見るたびに、生命が躍動している……! というおおげさな気持ちになって震えてしまう。

 

ヴァグラントの主人公・佐之助は、一見ものすごく軽薄に見えるけれど同情心や共感性は人一倍強く、やたら明るいのだが妖艶さもあり、さらに自分では知り得ない自分自身のルーツやアイデンティティに対して葛藤を抱いている……というバランスのかなり難しい役どころだと思うのだけど、そういう、ある種ばらばらな要素がひとつの身体のなかに矛盾なく存在しているという説得力はこの人にしか出せないのではと感じた。

 

開幕直後、上手からギターが鳴り響いて、ショーのようなライトが光るなかで平間さんが舞台上にせり上がってくるときの高揚感がほんとすごかったです。平間さんが舞台上を動く姿を見ているとボールが跳ね回っているみたいだと感じる。言葉以上に声が、声以上に身体が雄弁な役者さんだと今回観ていて思った。

 

譲治の苦悩と『おふねのえんとつ』

 

楽曲とその歌詞に関してはさすがにクオリティが高くて驚かされたのだけれど、特にすばらしかったのが『おふねのえんとつ』だったと思う。

 

炭坑夫の譲治は作中もっとも一貫した信念を持っているキャラクターで、彼はひたすらヤマの人たちのために生きている。ヤマの人たちのために、というか、あらゆる人々の幸福のためにというほうが近いのかもしれない。作中で譲治は人に上下などないことを強調し、ヤマに暮らす人々のなかで唯一、マレビトに触れると災いが起きるという言い伝えを「迷信」と言い切る。

 

譲治にとって「人」とはマレビトを含むあらゆる人間のことで、ヤマのはるか向こうにいるであろう労働者たちのこと、自分たちとは違う「人」のことも想像できる人物だからこそ、自分がヤマから出られない働き手であることを嘆く『おふねのえんとつ』はことさらに悲しく響いた。

 

メロディがまずとんでもなく美しいこともあるけれど、炭坑夫が日々掘り出している「よく燃える」石炭を原動力にして湯に浮かべた船が夜道を進んでいく、というイマジネーションの飛躍と、煙が立ち上っていくかのように徐々にハイトーンになっていく上口耕平さんの歌声のすばらしさ……! 1幕は明確に譲治の物語だと私は感じたのだけれど、それはやはりこのソロがあったからだと思う。弱さからいちばん遠い場所にいるかのように見えるキャラクターの内心の多面性をこの1曲だけで描ききっていて、こういう表現がミュージカルを観ることの醍醐味なんだろうと思った。

 

その他、歌詞について/繰り返されるモチーフ

 

これはもうわざわざ書くまでもないことのような気もするのだけど、楽曲の端々から感じる、あまりに強すぎる“新藤晴一み”みたいなものにあてられた人たちは多かったのではないかと思います。私自身はそれにあてられたくて観にいきました。

 

現実をそのまま描写することによって現実を描く、という方法ではなく、ファンタジーの風呂敷で丁寧に現実をくるむ、というやりかたを新藤さんは昔から選んできていると思うのだけれど、今回はとりわけそれを強く感じられたのが(大正時代を舞台にしているので当然といえば当然なのだが)よかった。たぶん、いわゆる「ポルノグラフィティの曲の世界観」を味わいたい方もすごく満足できると思う。

 

個人的には1幕、社長の就任式や祭りの場のようなハレの空間が続いたあとにやってくる『月の裏側』、そして佐之助たちが初めてヤマの民たちの“ケ”の場にあたる過酷な労働を身をもって経験することになる『炭鉱日記』~『おふねのえんとつ』のシーンがこの作品のなかでいちばん好きだった。

 

正確な歌詞を思い出せなくて申し訳ないのだが、「この世は地獄か?と父親に聞けば『そんないいもんじゃない』と言った」「(亡き父は)いまごろ、ここよりマシな地獄にいるんだろう」というようなフレーズにはめちゃくちゃ新藤節を感じた。みなさんもそうでしたよね??

 

「主人公はお前だろう?」/「喜びにも悲しみにも丸をつけましょう」

 

らんぼうな言い方をしてしまうと、作詞家としての新藤晴一に通底するもっとも大きなテーマは「お前の人生 主人公はお前だろう?」(『今日もありがとう』より)だと捉えている。ヴァグラントにもこのテーマは通奏低音としてずっと流れつづけていたし、この歌をうたうのがマレビトである佐之助であることにも、佐之助が炭坑夫たちというよりもむしろ客席全体に向かってこの曲を歌っているように感じたことにも納得感があった。

 

さらにいうと、一緒に観劇したしゅうやさんとも幕間で話したことなのだけれど、この曲、作中でも抜きん出て「ポルノグラフィティの曲」感がする。メロディもオケの乗り方も、とうぜん歌詞も。ここまで? と思う。20年間聴きつづけてきたあらゆるポルノグラフィティのメロディをコラージュした幻影みたいなものがずっと舞台上をさまよっていて混乱した。いい曲でした。

 

それから、やはりこの作品の(そして新藤晴一の詞世界の)もうひとつの大きなテーマは「喜びにも悲しみにも丸をつけましょう」(『丸をつけましょう』より)というフレーズに尽きるのだと思う。これはどんな経験でもポジティブに捉えよう、というマインドではなく、あのころ思い描いた未来にいま私は立っているのか? 立っているとしたらそれをあのころの私に誇れるのだろうか? という葛藤まじりの(まさに『VS』で歌っていた)諦めと赦しというか、生きていく以上、それを「悪くはない」とどうにか肯定するしかないんだろう、そう思えるようになるまでの道筋のみじめさこそが生なんだろう、という考えかただと思っている。

 

「最後の1秒まで勝負は決まらないよ 悪くはない日々だったと 言い張りたい」(『丸をつけましょう』より)。引用すればするほどこの楽曲がすべて語っているよなと思えてくるのでここまでにします。

 

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それから批判的に見た点について。申し訳ないですが、前述の理由から有料にさせてください。

 

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