湯葉日記

日記です

魔女について私が知っていること

覚えている限り人生最初の記憶はフィリピンパブのオーナーにブチ切れている母の姿で、バケツを持った彼女がそのなかの水をスーツ姿のオーナーに勢いよく浴びせかける様子を、私は2階の窓から見下ろしていた。まだ元気だった祖母が窓から母に向かってなにごとかを叫び、慌てて路地に走っていったのも記憶している。夏だった。
 
大人になってから、あれは地域のゴミ出しのルールを再三注意しても守らなかったオーナーとの口論の末の出来事だったというのを聞き、それにしたって水をかけることはないじゃないかと思った。私は真夜中に隣のパブから聴こえてくるカラオケの片言のいとしのエリーなんかが切なくてけっこう好きだったのだけど、その一件があったせいか、私が幼稚園を卒業するころにはお店がすっかり静かになってしまっていたのもちょっと淋しかった。フィリピンパブはそれからほどなくして潰れた。
 
 
 
母は苛烈としか言いようのない人間だった。だった、というかバリバリ健在なのでいまでもそうなのだけれど、私が思い出す主要な記憶のなかの母はキレているか魔女のような高笑いをしているかのどちらかだ。
 
魔女。といえば、母は私が小学校に上がるころまで、自分は魔女だと言い張っていた。
 
彼女は地球儀のなかには小さいサイズの人間が1億人住んでいるとか、コンクリートミキサー車のタンク部分ではラーメンが茹でられているとか、そういった必然性のまったくない嘘で私のことを困らせるのが好きだったし、私が幼かった時分にはちょうどモード系のファッションにはまっていて(母は時代によって没頭するファッションがコロコロ変わるひとだ)、ようやく伸びてきた3歳の私の髪の毛をマッシュボブにして黒しか着せてくれなかった。
 
からしたら母娘で黒服を着て東京を歩くのはクールだったかもしれないが、私は公園でなんども知らないひとに「坊っちゃん」と呼びかけられて心に深い傷を負ったし、シホちゃんのママ芸能人みたいね、と幼稚園の友だちのお母さんに言われるのは、誇らしい反面なんだかむず痒くもあった。
 
 
 
自意識が芽生えるのが比較的早かったから、幼稚園の卒園式で真っ黒の着物に赤い口紅をさして参列する母を自分の席からびくびくと見ていたころには、もうはっきりと「恥ずかしい」という感覚があった。母は私とはまるで似ていない端正な顔の持ち主だけれど、大きな口にほんのりと微笑みを湛えて私のほうを見る姿は美しいというより凄みを感じさせて怖かったし、学年が上がるにつれて語彙を身につけた同級生たちが母のことを呼ぶあだ名は「バブル」「元ヤン」「極道」などと徐々に過激になっていった。
 
私は私でそういういじられ方を楽しんでしまうロクでもなさがあり、フィリピンパブのオーナーとの一件などを中学の部活の先輩に話したときは、手を叩いて笑ってくれてうれしかったのを覚えている。
 
 
母は怒ると私に手をあげるひとだったけれど、その話はあまりひとにしたことがない。いちど、バイオリン教室の時間に家に帰らなかった私を母がバイオリンで殴ってきて弦がほとんど切れてしまったという話を仲のいい同級生にしたら、笑ってもらえると思ったのに、「えー……」と言ったきり相手が黙ってしまったので弱った。毒親、という言葉はまだない時代だったが、彼女が私に遠慮がちに伝えてきたのはおおよそそういう感じのことだった。高校卒業したらシホちゃん早くひとり暮らししたほうがいいと思う、と彼女は言った。
 
私はといえば、その当時こそ彼女の言葉をきっかけにしていろいろ思い悩んだりしたけれど(その日の日記は5ページ分くらい殴り書きされている)、いまとなってはまあそれでも母は母だよなと思う。母を全肯定しているといえば嘘になるし、強く憎んでいるといえばそれもまた違うのだが、半日買い物に付き合ったり台所に並んで料理をしたりするのは楽しいけど、夜遅くまで起きていて仕事の具合なんかをしつこく聞かれ馬鹿にされるのはちょっと勘弁してほしい、くらいのグラデーションでいる。
 
赤ん坊だったころ、小児喘息の治らなかった私に母が高知県の病院を探してきていっしょに入院してくれたり、その長期入院のおかげで友だちがまるでできなかった娘を不憫に思い『コジコジ』と『ちびまる子ちゃん』を全巻買い与えてくれたり、すべての病気が治るというなんらかのヤバげな水に手を出しかけて父と言い争いをした、などという話もひとから散々聞いているので、いや、だからというわけではないのだけど、母と縁を切るというようなことはちょっとありえない。そのあたりのきもちは自分でもうまく言えなくて、この話をするとなぜか決まって泣いてしまうのでこんなブログにコソコソ書いたりしている。
 
 
 
私は素直な子どもだったから、母が魔女だという嘘を小6くらいまで信じていた。
いちど、学校から帰ってきた私がクローゼットのなかにいる母にママ、と呼びかけたとき、彼女がふざけてそこから出てきてくれなかったことがある。クローゼットのなかからはたしかに母の声がしていて、あらおかえり、とはっきりと言われたのだけれど、着替えてるからちょっと待ちなさい、と言ったきり、声が途絶えた。
 
ママなにしてんの、としびれを切らした私がクローゼットの扉を開けると、そこに母の姿はなかった。呆気にとられて声も出せずにその場に立ち尽くしていると、私のうしろで母が「ここよ」と言った。そのときなにが起こったのか、母がいったいどんなトリックを使ったのか、あるいは使っていないのか、私にはいまだにわからない。
 
 
 
すこし前、終電を逃した赤羽の場末のバーで酒を飲んでいたとき、隣の席に座った年齢不詳の女性が私占いできるのよ、と言った。
 
彼女は初対面の相手の人相を見て、そのひとの本質をひと言で言い当てることができる、というようなことを呂律の回らない舌で喋った。誰もそれを本気にしているひとはいなかった(ように思う)が、その場はにわかに盛り上がって、俺も、じゃあ俺も、とみな彼女に占いをしてもらった。
 
姑息な成金、エロ河童、などと適当きわまりない占いの言葉が飛び交い、場が大笑いに包まれたころ、彼女が私を指さして言った。「あんたはやさしい魔女」。
 
やさしい魔女? 飲み屋のひとたちはどこかポカンとし、誰かが無責任に「あー」と言った。
あーじゃねえよと思ったけれど、やさしい魔女ならあまり怖くなさそうだし、うまく言えないが、ちょっとうれしい。

これより海中

8月の最終週になるとコンビニに花火が売っていないなんて知らなかった。すべての棚をなんど確かめても、そのニューデイズにはUNO以外の一切の玩具がないのだった。

店の外のガラスに背を預けてぼんやりと立っていると、人波の向こうに友だちが見えた。こちらに気づいて手を振る彼女の反対の手首にはうすいビニール袋が提がっていて、そこから星マークのロゴの缶ビールが2本透けている。歩くたびにフラミンゴのかたちの大きなイヤリングが耳もとで揺れる。

半笑いで近づいて行こうとして幾度も人にぶつかりそうになった。平日の千葉駅の構内で友だちと私だけが異様に彩度の高いワンピースを着ており、場からあきらかに浮いていた。

 

鈍行列車のボックス席でビールを飲みながら喋った。窓から見える風景がパチンコ屋、ドラッグストア、ラブホテルの三原色だったのが、列車が千葉から南に向かうにつれすこしずつ色を失ってゆき、しだいに草花の淡い緑だけになった。数秒で抜けてしまう短いトンネルが増えてきて、視界が暗くなるたびに耳が律儀につんと詰まった。

陸橋を通るとき、光る川を見下ろしながら「水がたくさんあるのが好きなんだよね」と友だちが言った。私も大きな水のかたまりならなんでも好きだから、うれしくなる。

 

 

鵜原無人駅で、改札には猫が2匹いた。

グーグルマップに従ってしばらく歩く。かきあげようとした髪に指がなかなか通らなくて、風のなかに潮が混じってきているのだと気づいた。歩き続けていると遅れて海の匂いがした。

 

なにかの最終回みたいな朽ちたトンネルのなかを進んでいるとき、ほんとうに突然、興奮とさみしさに一気に襲われた。泣きだしそうになってしまって、私きょう鞄にシャボン玉入ってるんだよね、と脈絡なく大声で言った。
前を歩いていた彼女が私を振りかえり、無言のまま背負っていたリュックを腹側に抱えなおした。まさか、とその時点で笑いそうになったけれど、実際に見るまでは笑うまいと思ってこらえた。

リュックからスッと出てきたのが剣みたいに長いシャボン玉だったとき、不意をつかれて笑ってしまった。サイズ感!と叫ぶと彼女もゲラゲラ笑った。笑い声がトンネルじゅうに反響して、その重なりを聞いていたらもっとさみしくなってくる。

 

トンネルのさきの道にはまるで人影がなかったから、iPhoneから音楽を流しながら歩いた。全曲シャッフルにしていたら若者のすべてが流れてきて、ピアノの一音目で情緒がくるう。真夏のピークが、という志村の歌い出しに被せるように「あーもう」「あーこれは」と言い合った。車をよけて道の右端を歩いたり真ん中を歩いたりするたびに、スピーカーの音が揺れて大きくなったり小さくなったりした。

 

正面に海が見えて、一直線に坂を下りた。カーブを曲がってのろのろと坂を上ってきたトラックとすれ違うとき、運転席のおじさんに呼び止められる。ここね進入禁止だよ、怒られちゃうよ。すいませんと言って来た坂をまた上った。いまのひと漁師っぽかったね焼け方が、と話していたらあっけなく海岸に着いた。

 

強い風に煽られながら海中展望塔を目指した。遠くのほうに、海から生えた灯台のような背の低いたてものと、そこに向かって伸びる白い橋が見える。橋を渡りはじめると、演歌のPVの背景みたいに視界の両端で波がざぱんと打ち上がる。風速計のプロペラは止まっているように見えたけれど、そうではなくてものすごい速さで回転しているのだった。轟音と波が橋脚をなぐる振動で橋のうえはほとんど嵐だった。

 

 

展望塔の扉を閉めたときにお互いの笑い声がようやく聞こえた。一周するのに30秒もかからないであろう狭い塔はその真ん中が螺旋階段になっていて、 地下につながっていた。

病院を思わせる青い階段を降りる。ぐるぐると回遊し続け、酔いそうになったころに手書きのプレートが頭上に見えた。これより海中、とプレートにはあった。

 

 

強風の影響で水はにごった色をしていた。潜水艇のようにくり抜かれた楕円形の窓が塔の360度をとり囲んでいる。先にいた子ども連れの4人家族は、私たちの姿を見るとしずかに階段を上って地上に戻っていった。

窓に顔を近づけると魚の群れがいた。しばらくイシダイやマダイの泳ぎ方を観察していたけれど、魚サイドからしたら私たちのいるこちら側が水槽なのだ。いま急に窓が割れたら私たちは海の藻屑になる、と妙な迫力で友だちが言う。

魚の通らない窓もあった。その窓から外を見ていると、光が筋になって海中に入ってくる場所があって、そのはじまりをたどると水面だった。

 

むかし、ツイッターの質問箱に「小さいころ、空を飛ぶ感覚を知ってたんです」というメッセージを送ってくれたひとがいた。いまとなっては飛べなくなってしまったじぶんの筋肉量の少なさが歯がゆいとそのひとは嘆いていて、文章はこう続く。私の頭のなかでは、腕を振るだけで大きな団扇を上下に振ったみたいな抵抗がないと飛べるはずがないんです。その抵抗があったとき、どう腕をしならせたらうまく体を浮かすことができるのか、知っているのにできない。水に浮かぶのとはちょっと違って、あれよりもう少しだけ内臓が自由になって、胴体の軸が心もとなくなるせいで、いまにも体がくるくる回りそうで。

 

揺れる水面を窓から見上げていたら、なんども読み返したせいで覚えてしまったその文面が頭をよぎった。そのひとの言っていたことはたぶん正しい。私も小さいころ、光が届かないくらい深い海の底を泳ぐ感覚を知っていて、その感覚がとても似ているものだったから。

 

勝浦のコンビニなら花火売ってないかなあと友だちが言った。私は実をいうとあのメッセージを送ってきてくれたのが彼女だったらいいと長いあいだ思っているのだけれど、たぶん違うし、本人には伝えていない。海中には30分いた。

だめな季節

むかしから7月頭に向いてなくて、この時期がくると鬱っぽくなってしまう。見る夢のほとんどが悪夢だし、そのくせいちど寝ると10時間は起きない。


雨の音、というか雨があたる街の音を聞きながら眠っている。私の家の目の前は大通りで、朝方になると運送業者のトラックがたくさんやってくる。窓を閉めきっていても、トラックが濡れたアスファルトの上を走り抜けるシャーッという音が聞こえてくると、それで朝がきたことがわかる。クーラーをつける。


シーツを被ってうす暗い天井を見ている。晴れた日にはかならずカーテンの隙間から入ってくる透明のオーロラみたいな光が、雨の日には見えない。目をつぶる。長くて小さい音や短いけれど大きい音が代わる代わる聞こえて、そのたびにいま外を通っていったトラックの姿かたちを想像する。 


もういちど寝てしまおうとするけれど、壁の向こうからうっすらと聞こえる子どもの声で眠れない。隣の部屋の老夫婦は金曜日になると孫を呼びよせてマンションで遊ばせている。元気な子どもの声を聞いていると、この子もいつか梅雨がくるたびに鬱になる人間になるのではと考えてしまってくるしくなる。どうかならないでほしい。間違ってもフリーランスのライターなんか選ばないで。壁を叩かれた音で一瞬ビクッとする。

 

 


また天井を見ていたら、きのうの夢をとつぜん思い出す。夢のなかで私は怪我をしていて、二の腕にできたかさぶたを剥がそうとしていた。引っかいて半分くらい剥がしたら傷あとはもう薄い桃色になっていて、その表面に黒い点のようなものが並んでいるのが見える。

ほくろかな、とか思いながら虫眼鏡で見てみればそれは文字列で、しかも知っているひとの筆跡だった。ぎょっとして虫眼鏡が落ちて割れる。なんて書いてあったかも覚えているけれど、ほんとうになってしまったらこわすぎるからここには書かない。

 

 


雨。雨の音にいらだつ。窓に背を向けて寝返りをうつと、枕からきのうの夜つけた香水の匂いがする。森の奥の秘密の池に100年浮かんでいる蓮みたいな大好きな香りの香水なのだけど、調子のわるい日に嗅ぐと入水のイメージが頭から離れなくなってしまうので最悪。

雨は音も視界もにおいもまとめて世界の明瞭度を容赦なく引き上げるので、見て見ぬふりをしていたものごとの輪郭もだんだんくっきりとしてくる。ついてしまった嘘や執着、あらゆる種類のうしろめたさが私の内臓を冷やしてゆく。

 


つらさに体ぜんぶを掴まれてしまう前に、きのう行った新しい109のことを必死で思い出す。ピンク色の踊り場にかけられたハートの鏡、おジャ魔女どれみのコラボTシャツ、SPINNSでかかってた「どこまで行っても渋谷は日本の東京」、生田衣梨奈ちゃんのギャルコスプレ、葵プリちゃんのインスタ。

13歳でどきどきしながら歩いた渋谷はもうたぶんどこにもなくて、代わりに「GOOD VIBES ONLY」とか書かれたネオン看板が光る街に変わったけど、それはそれでわりと泣いちゃうほど美しかったこと。


そういうことにばかり意識を集中していると雨の音が聞こえなくなってきて、どうにか体を起こそうと思える。仕事の電話をかける必要があったことを思い出して、枕元に置いたチューハイを体をねじってひと口飲む。

 


夜になれば眠る口実ができるから、ほんとうははやく夜になってほしい。日が落ちてもしも眠くなかったら、109で買ったすいかの香りのグロスをつけて出かけようと思う。私の気分をどうこうできるのは私だけなので、グッドバイブスオンリーをかき集めて死にそうな7月を乗りきる。梅雨に負けない。

鳩と視線

強くなろうなんて人生で思ったことがない。けど、毎日は勝手に私のことを少しずつ強くしているみたいで、このごろは初めてのひとの前で文字を書いても手が震えたりしなくなった。

 

友だちもそうみたいだった。大学1年のとき、同じバンドのボーカルだった彼女はいつも豹柄のスキニーを履いていて、気丈で、こちらの軽いボケにツッコむときにだけ二人称が「おまえ」になった。私は彼女にそういうとき「おまえ」って呼ばれるのがわりと好きだったけど、男の子にそう言われるのは許せなかったから、なんでだろうとずっと考えていた。たぶん、彼女がそういうふうに私を呼ぶたびに、ちょっとだけ(いいんだよね?)みたいな目をするからだった。

こちらが爆笑すると彼女はほっとした顔をした。不安ならやめればいいのに、とも思ったけど、なんとなく、キーボードの子がいつも呼んでくれる「しほりん」と同じくらい、彼女の「おまえ」はうれしかった。

 

 

練馬には鳩が多くて、スタジオの帰りの電車を待つホームにも、やつらはよくクルッポクルッポと入ってきていた。

彼女は鳩をすごく怖がった。鳩が近くにくるたびにギャッと叫ぶので、私はホームの端まで歩いて何度もそれを追いやった。よく怖くないね、と言われたけど、私にはあんな小さくて呑気な鳥が怖い彼女のことが不思議だった。

 

電車のなかでは、決まってその日のスタジオで聴いた彼女の声を思い出していた。歌がすごくうまかったし、なにより、歌ってるときの彼女は無敵って感じの顔をしていて、それが大好きだった。

いちど、イントロでボーカルが絶叫する曲をコピーしたことがあるのだけど、歌い出す前は「叫び…?」「叫びに音程とかある?」とずっとオロオロしていた彼女が、曲が始まった途端にアンプが壊れるぐらいの音圧で叫んだのが忘れられない。20秒くらい絶叫は続いて、自分のギターの音が聴こえなくて笑っちゃったし、最高だからそのまま練馬区ごとぶっ壊してくれと本気で思った。

 

私が軽音部を辞めることになったとき、ほかのバンドメンバーや部長や慕っていた先輩の前では泣いたのに、彼女の前では泣けなかった。飲み会の席で隣りに座って、「ごめん」まで言った瞬間、彼女が先に泣き出したからだった。

泣き上戸の私が笑うしかなくなっちゃったくらい彼女は大声で泣いた。私はあなたがボーカルで幸せだったと伝えたらもっと泣いたので最後はずっと抱き合っていた。ほかの部員から見たらたぶん意味不明なテーブルだった。

 

部員はみんな優しいひとたちだったので彼女が孤立するようなことは絶対にないとわかっていたけど、もし、彼女が彼女なりに世界と対峙するために身につけていた豹柄や二人称やサディスティックなキャラが彼女そのものだと思われてしまったら、そして彼女自身がそれを自分だと思い込んでしまったらきっと辛いだろうなと思って、「これからも友だちでいてほしい」とだけしつこく伝えた。

 

 

それから8年経った。久しぶりに会った彼女は職場のひとに恋をしていた。

好きなひとの話をする彼女は可愛かった。0時あがりのシフトだからふざけてシンデレラと呼ばれているという話をしてくれて、「靴落としてったら探してくれますか? って聞いたら、新宿じゅう探すね、って言われた」とはにかみながら言う。

新宿じゅう探すね! 恋愛の最初期にしか飛び出ない語彙は、聞くだけで血管がカッと開く感じがする。私だって新宿じゅう探されたい。

 

彼女のこれまでの恋と比べても、なんかいまはすごく楽しそうだった。彼女がすこし前までよく会っていた、若干モラハラ感のするひととの縁が切れたっぽいのもほっとしたし、仕事も肌に合っているみたいだった。

あと私ね鳩怖くなくなったんだよね、と彼女は言った。いままでなんで怖かったのと聞くと、ちょっと考えたあとに「鳩より弱かったんだと思う…」と言う。

彼女はバンドのときとは違うフェミニンなロングヘアで、あのころよりずっとか弱そうだったし困ったみたいに眉を下げて笑う癖はそのままだったけど、生まれたてみたいにまぶしかった。

 

 

お茶をして、洋服を見てプリクラを撮った。

いまの彼女は自分に似合う服をよく知っていて、それは少しだけだけど私も同じだった。彼女はピンクベージュの、私は青緑っぽい、おそろいのワンピースを着てみたらどちらもよく似合った。「それで来た?」「それで来たでしょ」と言い合って試着室のカーテンを閉めたあと、鏡に映る自分を見てみたらほんとうにこれで来たみたいだった。

夏だからギャル服着たくない? という話になって、ギャル服ってどこ? セシルマクビーじゃない? というゼロ年代的感性でショッピングモールの端まで歩いた。

 

セシルマクビーINGNIみたいになってて、別にもうギャル服じゃなかった。きわどいオフショルとかミニのタイトスカートとか、私たちの思うあのころのギャル服はもうたぶん、東京のどこにもなかった。

代わりに入った靴屋で、彼女は淡い色のサンダルを買った。すごい、似合うよなんてわざわざ言わなくても彼女はそれを知っていたけど、それでも気が済まないから世界一似合うよと言った。

 

 

雨のなかを帰った。電車で彼女とのプリクラを見返すとうれしくなった。プリクラは平成が終わるときに冗談で撮り出したらほんとうに楽しくなってきて普通に趣味になってしまったのだけど、なにがそんなに楽しいのかいまでもよくわからない。ただ、撮ったのを忘れていた写真が急にポケットから出てきたりすると、カメラロールのなかからそれを見つけたときよりもずっとうれしい。

 

プリクラとスマホを握って改札までの道を歩いていると、すれ違うひとと目が合う。背筋を伸ばしてみるとニットの生地が背中にあたってくすぐったい。すれ違うひとにちょっと微笑まれた気がして、横に崎陽軒の赤い看板が見えて、ああ世界、美しいなと急に思う。呼吸を止めてしか浅草線までの改札を歩けなかった高校生の私に、もう駅怖くないよ、足震えないよと呼びかけてみる。

 

強くなることが鈍感になることと同じだと思い込んでいたころ、なにもかも怖くて嫌いなままで大人になりたいと本気で思っていた。 いろんなものが怖くなくなってきているのを自分に許せるようになったのは最近のことだ。恋バナとか試着とかプリクラとかひとの視線とか、もうそんなにびびらないし、好きだって思えるときもある。

動く歩道の上を歩きながら、自分のヒールの音がファの#なことに気づいて、 その音から始まる歌を思い出して、気持ちよくなる。

 

 

1-1-1

1-1-1なんて住所は馬鹿みたいで忘れようがなかった。魔法のカードみたいな装飾が全面にあしらわれた真っ黒の玄関扉を見たとき、やっぱりここだという気持ちが確信に変わった。
 
扉をふたつ隔てた向こうでなにか喋っている母が見える。父はその隣で吹き抜けに植えられたでかい木を見あげている。父はいちど病気をしてからずいぶん無口になった。
 
不動産業者が私を呼んでいる気配がした。けれど彼女の声は彼女の足元の絨毯にぜんぶ吸い込まれてしまって、うまくここまで届かない。
 
 
****
 
 
そのひとがラインで送ってくるのは決まってゴルフか寿司の写真だった。
まれにゴルフゴルフ寿司、や寿司寿司ゴルフ、の日もあるけれど、基本的には交互にゴルフ寿司ゴルフが3日置きくらいでやってくる。それに「いいな~」と返信するのが私の役目だった。
 
自称縄師ということ以外、彼がなにをしているひとかはまるで知らなかったし興味がなかった。Facebookでは誕生日に友人たちから「社長」と呼ばれていたのでたぶん社長だったのだろう。
 
フグの白子の写真の次に、とつぜん東京タワーが送られてきた夜がある。
「どこのゴルフ場?」と聞くと、そのひとは「いまからこない?」と言った。
 
 
 
 
エレベーターを降りたらパーティーだった。
テーブルの上には寿司とピザとフルーツといろんなひとの名刺がばらばらに並べられて、誰かが割れたワイングラスを踊りながら片付けていた。窓からは写真より赤い東京タワーが見えた。
 
パーティーの主催の女性は、私が大学で脚本の勉強をしていると言うと喜んだ。
わたし脚本家よ、という彼女の書いたドラマはたしかに私も知っていた。だから連れてきてくれたのかと謎社長に聞くと、彼は「あんた脚本家だったの?」と心底驚いた顔をしていた。
 
 
ひとに酔ってしまって2階のロフトから下を見ていた。
ビリヤード台の端でなにかを巻いて吸っているひとが見えて、あ、と思うと、
 
「見ちゃだめだよ」
と彼がうしろから私の目を覆った。
その手がゆっくりと口まで下りてきて、近づいてきた顔が耳元で「こういう店なんだよ」と言う。
 
ドラッグのことなのかその行為のことなのかはわからなかったけれど、なにも言わずに顔を手で追い払った。
彼はつまらなそうに電話でタクシーを呼んだ。
 
 
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子どもの頃、2回追突事故に遭っている。
1度目は3歳だった。冬の高速道路の上で、雪用のタイヤに替えていなかった車が滑り、スピンした。
車は高速道路の端にぶつかって止まり、乗っていた母も友人も私も無事だったけれど、母はいまだに「あんたはあのとき強く頭を打ったからこうなった」と言う。
 
2度目はふつうの道路で、急発進した車にうしろから当たられたのだった。
ナンバーがゾロ目の黒塗りのベンツからサングラスをかけた母が降りていくと、相手はびびって車の前で土下座した。私はそのとき大人が土下座するのを初めて見たから、その光景がドラマみたいに思えてしまって変だった。
 
 
いちど、母に「どうしてああいう車乗るの。友だちにシホちゃん家ヤクザの親玉って噂されてるんだけど」と聞いたことがある。
母は「次に事故ったときに死ぬ確率が下がる」と笑ったあと、まっすぐに私を見て言った。
 
「できるだけ強そうにしてなさい」
 
 
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タクシーのなかで、「脚本だけじゃ食ってけないからあんな店やってるんでしょ」と彼は言った。
夜の首都高から見える景色はキラキラで可愛い。
シートベルトをぎゅっと握って、彼が座っている右側だけ追突されればいいのに、と思う。
 
 
 
部屋に着くと彼はやべ、と言い、「ごめん東棟だ。もうひとつの部屋行ってくる」と靴を履いた。
 
「東棟?」
「そう。ここが西棟。いまから行くのが東棟」
 
ついてっていい? と聞くと、彼は酔った顔でうなずいた。
 
「なんで2個あんの?」
「東はコンビニが真下だけど、西は東京タワーがすごい綺麗に見えるから」
 
 
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不動産業者が部屋のドアを開けると、父はうわっと一瞬嫌そうな声を出した。
なによ、と母が言うと、「やりすぎじゃない?」と半笑いになっている。
スーパーラグジュアリーなんとかタイプのお部屋です、と業者の女性が言った。
 
女性の説明にうなずく母を長い廊下の端から見ながら、「どう思う?」と父が言う。
 
「私が住むわけじゃないから」
「パパたちがここに住むってイメージできる?」
「でもさ癌センターも近いよ」
 
父はうーんと唸って、それから黙った。
カウンターキッチンに立った母が窓を見て、「あら素敵じゃない」ととつぜん大きな声を出した。
窓の外を見て、ここは西棟だ、と思った。
 
 
 
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ドアを開けると、鏡の向こうみたいにすべてが正反対の配置の部屋があった。
すごい、と笑いながら一歩足を踏み出すと、私の足になにかが当たった。
それがミキハウスの小さな靴だと気づいたとき、一瞬で血の気が引いた。
 
静かにしててね、と彼が靴を脱ぐ。
足元に転がる赤い靴を揃えながら、いまが帰るときだと突然、けれどはっきり思った。
 
「私帰るよ」
「え? いまゴムとってくるよ」
「いいよ。帰るよ」
 
踵を返してドアを閉めると、彼がふらつきながら追いかけてくる。
 
「帰んの?」
「帰るよ」
「ほんとうに言ってんの?」
 
立ち止まって、ほんとうに言ってるよと言った。
 
「好きだよ」
「ありがとう。私は一生あなたのことは好きにならない」
 
早口で言ってからびっくりした。
本音というのはこんなに嘘みたいに聞こえるものなのだと、私はそのとき初めて気づいた。
彼はそっかあと笑って、「タクシーチケット持ってくるね」と西棟に向かった。
 
 
 
酔った彼が外から窓ガラスにキスをしてきていた。
なにも言わない運転手とミラー越しに目が合って、「早く出してください」と言う。
運転手がナビに打ち込んだ住所を見て、もう二度とくることのない自分の現在地を知った。1-1-1。
 
 
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母の運転する車に乗っている。
助手席で父は寝ていて、胸元に内見でもらった大量のパンフレットを抱えている。
 
母がちらりとこちらに目をやって、
「ねえ、あんたむかし高速の上でスピンしたの覚えてる?」
 
そんなむかしのこと覚えてるわけない、と私は言う。

もうどこかわからない駐輪場

真夏だけに着る黒いワンピースは熱を吸ってぎらぎらと光っていた。
足の裏が痛い。天ぷら、ステーキハウス、蟹料理の看板を立て続けに見送って、私たちはそれでも歩き続けていた。
 
梅田での仕事までの空き時間だった。
二日酔いの体を阪急電車のシートに預けていたらいつの間にか烏丸に存在していた私たちは、にぎやかな駅を抜け、大通りをふたつ越え、五条を目指していた。
いまどこにいるんでしょうねと言い合いながら、Google Mapを見ずに歩いた。
 
 
日差しが両腕を焼く。早く無敵になりたくて、通りの途中のローソンでアイスと発泡酒を買った。
食べるそばからアイスが溶けていくので手がベタベタになった。手を洗いたい、というか水に手を浸したら気持ちがいいだろうなと思って、「水にさわりたい」と急に言った。
 
「あーわかる、水にさわりて~」と言われてうれしくなる。
鳥になりたいとか一生恋人でいたいとかじゃない生理的な欲求への共感は嘘がない気がして、されると私はすぐにうれしくなってしまう。
 
 
「歩けば楽しい」と看板に書かれた細い通り道があって、楽しいほうがいいと思ってそこで曲がった。誰ともすれ違わないのをいいことに発泡酒をガンガン飲みながら歩く。
 
古いアパートの前で彼が唐突に立ち止まり、「ちょっと俺いっかい様子見てきていいすか?」と言った。
反射で爆笑してしまって酒がちょっとこぼれる。見てきて見てきて、と言いながら自分も入った。
 
 
すべての自転車が詰め放題の袋の野菜みたいに停められている駐輪場だった。
いちばん奥の自転車の上では蚊じゃない小さい虫が4,5匹、屋根の隙間から漏れた光に照らされてぐるぐると回っていた。
 
一歩進むと、自転車たちのうしろの地面に彼が座っていた。
少し手前に自分もしゃがみ込む。日陰に入ると、錆ときのうのビジネスホテルのシャンプーが混じった夏っぽい匂いがした。
 
 
すごくベタに高校のときの話をした。
彼は18のときに実家がなくなってしまったから、駐輪場にくると実家のことを思い出すという。
 
「俺たぶん高校のときにあなたがクラスにいてもなんの関心も持たなかった」と言われて笑ってしまった。
 仮にそうだったらなんか暗いやついるぞって思われてたんだろうな、いま仕事でこの人と会えてよかったなと思ったとき、
「だからいま仕事で会えてよかったですよね」と彼が言った。
 
「ほんとにね」と言いながらパトカーのサイレンが聞こえて、絶対自分たちなわけないのにちょっとびびる。発泡酒のプルタブをいじるのをやめて、しばらく通りのほうを見ていた。
 
 
駐輪場はさすがにすぐ出た。
いくつかの公園を抜け、寝具店の店先の鉢植えの写真を撮り、日差しに目をやるたびに好きなひとのことを思い出したりしながら、鴨川の裏の小さな流れにたどり着く。
 
木々の緑の下で川面がきらめいているのを見たとき、私はこの数秒をいつまで覚えていられるんだろうと思った。なんかわかんないけれど、駐輪場のことは忘れない確信があったから。
 
「生まれ変わったらこの川のきらめきになりたい」と彼が言った。
笑うところかちょっと迷ったけれど笑わなかった。

催眠術がとける日

自分は陽気だ陽気だと言い聞かせていたら最近、ほんとうに陽気みたいな感じになりつつある。
 
去年の夏に会ったのが最後の人と久しぶりに会うことになったとき、あの夏の自分がすごい笑う人だったのかそうじゃなかったのかがいまいち思い出せなくて、レバーを串から外して皿に並べたりしながら20分くらい様子見してしまった。
私たちの席にどこかからとつぜん爪楊枝が飛んできたとき、反射的に爆笑してしまって、そこからはしかたないので腹をくくって陽気の人になった。
その日から3週間くらい経ったのに、依然として陽気でいる。
 
 
 
むかし、たぶん小6のとき、深夜番組に出ていた芸人が「自分、ピーマン好きになる催眠術かかりっぱなしで生きてるんですよ」と言っていてエエッとなった。
その芸人はほんとうはピーマンを口に含むだけで泣いてしまうほどピーマンが苦手なのに、プロの催眠術師に催眠術をかけられたおかげで、それからずっとピーマン好きだと錯覚しているという。
 
聞いた瞬間、めっちゃ怖くて泣いた。催眠というものがそもそもかかりっぱなしで生きていけるものなのだと、できるなら知りたくなかった。
ピーマンだからまだ穏やかだけれど、それが仮に二足歩行ができる催眠術とかだったらどうなるんだろう。
 
何日か経った日の夜、夢のなかにピーマンの芸人が出てきた。
催眠術師にパチンと指をならされた次の瞬間、歩き方がわからなくなって顔から地面に倒れた彼を見て松っちゃんが笑っていた。
 
 
 
ここ数週間、コンビニのレジで「アッ……箸イラナッ…ス…」とか言ってないし、お酒がなくても人と喋れている。
えっ怖と思う。
たぶんまたすぐにどこかで無理スイッチが入って無理になると思うのだけど、仮にこれ、半年とか1年そうならないままだったらどうなるんだろう。
「乗り越えた人」みたいな顔してむかしのこととか喋るんだろうか。想像するとおぞましい。
 
 
いちど泳げるようになったらずっと泳げるとか、いちど働けたらずっと働けるとか、わりと嘘だと思う。
対岸にさえ着いてしまえばもうこちら岸に用はないみたいな顔してる人たち、みんな怖くないのかすごく不思議だ。
 
不意に大きめの「パチン」がきて、生というばかげた催眠術がとける日のことをずっと考えている。
ずっとその予行演習をしている。顔から倒れないように。