湯葉日記

日記です

鳩と視線

強くなろうなんて人生で思ったことがない。けど、毎日は勝手に私のことを少しずつ強くしているみたいで、このごろは初めてのひとの前で文字を書いても手が震えたりしなくなった。

 

友だちもそうみたいだった。大学1年のとき、同じバンドのボーカルだった彼女はいつも豹柄のスキニーを履いていて、気丈で、こちらの軽いボケにツッコむときにだけ二人称が「おまえ」になった。私は彼女にそういうとき「おまえ」って呼ばれるのがわりと好きだったけど、男の子にそう言われるのは許せなかったから、なんでだろうとずっと考えていた。たぶん、彼女がそういうふうに私を呼ぶたびに、ちょっとだけ(いいんだよね?)みたいな目をするからだった。

こちらが爆笑すると彼女はほっとした顔をした。不安ならやめればいいのに、とも思ったけど、なんとなく、キーボードの子がいつも呼んでくれる「しほりん」と同じくらい、彼女の「おまえ」はうれしかった。

 

 

練馬には鳩が多くて、スタジオの帰りの電車を待つホームにも、やつらはよくクルッポクルッポと入ってきていた。

彼女は鳩をすごく怖がった。鳩が近くにくるたびにギャッと叫ぶので、私はホームの端まで歩いて何度もそれを追いやった。よく怖くないね、と言われたけど、私にはあんな小さくて呑気な鳥が怖い彼女のことが不思議だった。

 

電車のなかでは、決まってその日のスタジオで聴いた彼女の声を思い出していた。歌がすごくうまかったし、なにより、歌ってるときの彼女は無敵って感じの顔をしていて、それが大好きだった。

いちど、イントロでボーカルが絶叫する曲をコピーしたことがあるのだけど、歌い出す前は「叫び…?」「叫びに音程とかある?」とずっとオロオロしていた彼女が、曲が始まった途端にアンプが壊れるぐらいの音圧で叫んだのが忘れられない。20秒くらい絶叫は続いて、自分のギターの音が聴こえなくて笑っちゃったし、最高だからそのまま練馬区ごとぶっ壊してくれと本気で思った。

 

私が軽音部を辞めることになったとき、ほかのバンドメンバーや部長や慕っていた先輩の前では泣いたのに、彼女の前では泣けなかった。飲み会の席で隣りに座って、「ごめん」まで言った瞬間、彼女が先に泣き出したからだった。

泣き上戸の私が笑うしかなくなっちゃったくらい彼女は大声で泣いた。私はあなたがボーカルで幸せだったと伝えたらもっと泣いたので最後はずっと抱き合っていた。ほかの部員から見たらたぶん意味不明なテーブルだった。

 

部員はみんな優しいひとたちだったので彼女が孤立するようなことは絶対にないとわかっていたけど、もし、彼女が彼女なりに世界と対峙するために身につけていた豹柄や二人称やサディスティックなキャラが彼女そのものだと思われてしまったら、そして彼女自身がそれを自分だと思い込んでしまったらきっと辛いだろうなと思って、「これからも友だちでいてほしい」とだけしつこく伝えた。

 

 

それから8年経った。久しぶりに会った彼女は職場のひとに恋をしていた。

好きなひとの話をする彼女は可愛かった。0時あがりのシフトだからふざけてシンデレラと呼ばれているという話をしてくれて、「靴落としてったら探してくれますか? って聞いたら、新宿じゅう探すね、って言われた」とはにかみながら言う。

新宿じゅう探すね! 恋愛の最初期にしか飛び出ない語彙は、聞くだけで血管がカッと開く感じがする。私だって新宿じゅう探されたい。

 

彼女のこれまでの恋と比べても、なんかいまはすごく楽しそうだった。彼女がすこし前までよく会っていた、若干モラハラ感のするひととの縁が切れたっぽいのもほっとしたし、仕事も肌に合っているみたいだった。

あと私ね鳩怖くなくなったんだよね、と彼女は言った。いままでなんで怖かったのと聞くと、ちょっと考えたあとに「鳩より弱かったんだと思う…」と言う。

彼女はバンドのときとは違うフェミニンなロングヘアで、あのころよりずっとか弱そうだったし困ったみたいに眉を下げて笑う癖はそのままだったけど、生まれたてみたいにまぶしかった。

 

 

お茶をして、洋服を見てプリクラを撮った。

いまの彼女は自分に似合う服をよく知っていて、それは少しだけだけど私も同じだった。彼女はピンクベージュの、私は青緑っぽい、おそろいのワンピースを着てみたらどちらもよく似合った。「それで来た?」「それで来たでしょ」と言い合って試着室のカーテンを閉めたあと、鏡に映る自分を見てみたらほんとうにこれで来たみたいだった。

夏だからギャル服着たくない? という話になって、ギャル服ってどこ? セシルマクビーじゃない? というゼロ年代的感性でショッピングモールの端まで歩いた。

 

セシルマクビーINGNIみたいになってて、別にもうギャル服じゃなかった。きわどいオフショルとかミニのタイトスカートとか、私たちの思うあのころのギャル服はもうたぶん、東京のどこにもなかった。

代わりに入った靴屋で、彼女は淡い色のサンダルを買った。すごい、似合うよなんてわざわざ言わなくても彼女はそれを知っていたけど、それでも気が済まないから世界一似合うよと言った。

 

 

雨のなかを帰った。電車で彼女とのプリクラを見返すとうれしくなった。プリクラは平成が終わるときに冗談で撮り出したらほんとうに楽しくなってきて普通に趣味になってしまったのだけど、なにがそんなに楽しいのかいまでもよくわからない。ただ、撮ったのを忘れていた写真が急にポケットから出てきたりすると、カメラロールのなかからそれを見つけたときよりもずっとうれしい。

 

プリクラとスマホを握って改札までの道を歩いていると、すれ違うひとと目が合う。背筋を伸ばしてみるとニットの生地が背中にあたってくすぐったい。すれ違うひとにちょっと微笑まれた気がして、横に崎陽軒の赤い看板が見えて、ああ世界、美しいなと急に思う。呼吸を止めてしか浅草線までの改札を歩けなかった高校生の私に、もう駅怖くないよ、足震えないよと呼びかけてみる。

 

強くなることが鈍感になることと同じだと思い込んでいたころ、なにもかも怖くて嫌いなままで大人になりたいと本気で思っていた。 いろんなものが怖くなくなってきているのを自分に許せるようになったのは最近のことだ。恋バナとか試着とかプリクラとかひとの視線とか、もうそんなにびびらないし、好きだって思えるときもある。

動く歩道の上を歩きながら、自分のヒールの音がファの#なことに気づいて、 その音から始まる歌を思い出して、気持ちよくなる。