湯葉日記

日記です

生活のためのメモその1

Evernoteでつけていた生活のためのメモがだいたい半年分溜まった。

生活のためのメモというのは、日々暮らすなかで「こうしたほうが生活がちょっとよくなる」と思ったことを覚えておいて、iPhoneでちまちま打っていたメモのことだ。

ずっと溜めていたら増えてきたので、せっかくなのでブログに載せておく。

 

 

買っておくといいもの 

 

どこでもベープ 120日用

春がきたら部屋で最初の蚊を見る前にamazonで買う

 

アイスの実

普段はそんなに好きじゃないと思うけど飲んで帰ってきたときに冷凍庫にあるとうれしい

 

・バナナ4、5本

あらゆるスムージーの底に入れる

 

・コンタクト

クーポンの日を待っていても消費リズムが合わないので待たずに買う

 

・冷凍ほうれん草

万能

 

・プレーンヨーグルト(加糖)

健康に留意している気になれる

 

 

覚えておくといいこと

 

・安いホットケーキミックスでホットケーキを焼いてもおいしくならない
 
・笑顔で謝ると相手によってはけっこう嫌な顔をされる
 
トイザらスのサイトでおもちゃのコスメを見るとたのしい(※)

トイザらスのサイトでおもちゃのコスメを見てから本物でメイクするとときめく
 
・知らない人たちが自撮りしようとしているのを近くで見ていると「撮ってくれますか」となってしまうのでじっと見ない

・フォントで迷ってもとりあえず書き出したほうがいい
 
・灯油のトラックの音楽が悲しいので近所に来たらイヤホンをする
 
・涙は塩水なので泣いた跡をそのままにしておくと肌が荒れる
 
・まぶたが痙攣するときは我慢しないで寝たほうがあとあといい
 
・ゲームで使う名前をしほりんに設定しているとオンライン対戦で恥ずかしい
 
・この人のこういうとこ好きだなと思ったら急でもその場で言ったほうがいい
 
・ルンバが動いているときソファに私が座ってしまうとソファのたわみで通れなくなったルンバが尻の下で死ぬ
 
・剥くのが面倒な柑橘(※)は食べないので買わない
(※……はっさく、伊予柑夏みかん
 
・これ言ったら失礼かなと迷ったら言わない
 
・ちょっと面倒でも折り畳み傘を持っていくとあとあといい
 
・弱っているときにアイドルソングを聴かない
 
・リアル脱出ゲームはちょっと高いかなと思うけど行くとすごいたのしい
 
・実家に帰るときはコンタクトいらないかなと思っても念のため持っておくと泊まれる
 
あずきちゃんの話は通じないのでしない
 
・呼び込みくんの話は通じないのでしない
 
・話しているとき相手の後ろを見ると理由がなくても相手は気になるのでしない
 
・電車で苦しくなったら真上か真下を向くと周りから人がやや減る
 
・一度見ると通知が消えるSNS(※)のメッセージは見たら返す

(※DM、Messenger)

 
・花見とカラオケは率先して楽しんだほうがあとあといい

・ソファで寝ていたら元号が発表されていたので次の改元のときは起きておく
 
 
 
 
また増えたら書く。

知らない人とパフェを食べた日

赤の他人とロイヤルホストでパフェを食べたことがある。

 

ログインすることがめっきり減ったミクシィを久しぶりに開いたその日、受信箱に知らない人からメッセージが届いていた。

突然ごめんなさい、驚かないでくださいという短い前置きのあと、メッセージはこう続いた。

 

心の準備はいいでしょうか? つまり、見ず知らずの俺たちですが、一緒に芝居を観に行きませんか?というお誘いなのです。

 

送り主はハルヤというハンドルネームの男性で、35歳だといった。知り合いの俳優から彼が出演する芝居のチケットを2枚譲り受けたが、公演はわずか2日後で誘えそうな友人がいない。試しにミクシィで芝居好きな人を探してみたところ、私を見つけたのでこのメッセージを送っている、という。

文章の最後に、『凄い金魚』という芝居のタイトルと、劇場の場所、開演時間が添えられていた。

 

一読して怪しいメッセージだと思ったが、その唐突さと、「はっきり言って芝居がおもしろいかはわかりません。つまらないかもしれません」という言葉の率直さが妙に気になり、いいですよ行きましょうと返事を書いた。

「近年まれに見る奇跡っていう感じです」という返信がすぐに来て、私たちは土曜日にその芝居を観に行くことになった。

 

 

待ち合わせにやってきたハルヤことスダさんは、想像していたより童顔で小柄だった。20代に見えますね、と私が言うと、シホさんも20代に見えるよと彼が言った。

 

とはいえ、スダさんと並んで歩くと私は明らかに子どもだった。もし知人に会ったら、シホさんのことは芝居好きな親類だと紹介させてほしい、というようなことを劇場の階段を上がりながら言われて、それを快諾した。

関係者受付の前を通るときはちょっとソワソワしたが、特に誰にも何も言われないまま私たちは席についた。

 

芝居の内容は正直あまり覚えていない。当時の日記を見返しても、その日の話はどこにも残っていない。

誰かの葬式を舞台にした一幕ものだったような気がするけれど、出演者全員が黒い服を着ていたからそんな風に覚えているだけなのかもしれない。

ただ、記憶が間違っていなければ、「人間が人工的に作りあげた哀れな観賞魚」と金魚のことを呼ぶシーンがあった。ちょうど金魚を使ったインスタレーションなんかが流行っていた時期だったので、その台詞だけが後々まで印象に残った。

 

終演後、出演者に見送られながら劇場をあとにするとき、スダさんが気まずそうに「演劇部に入っているいとこで……」と私のことを説明しているのが聞こえた。なんだか申し訳なくなって物販で脚本を1部買い、勉強になりました、と毒にも薬にもならない感想を伝えた。

 

 

いちど自己紹介しようか。駅の近くのロイヤルホストで、向かい合ったスダさんは真面目な顔でそう言った。

「いとこのシホです」

「演劇部の?」

うなずくと、それきりもう彼はなにも詮索してこなかった。演劇部のシホさんはなに食べる? と聞かれて、チョコレートパフェを注文した。

 

広告制作会社で働いているとスダさんは言った。コマーシャルとか作ってるんですかと尋ねると、コマーシャルの10倍地味な仕事想像してみて、実際はその想像の10倍地味だからと言う。

私が頼んだパフェが運ばれてくると、よくそんなでかいの食えるねと笑われた。その顔が若干、昔憧れていた俳優に似ていることに気づいてからは目が見られなくなった。

会話は少なく、スダさんはコーヒーを飲みながらずっとドリンクバーの方向を見ていた。意味不明な夜だと思った。

 

どうして私にメッセージくれたんですか。帰り際、たまらなくなって尋ねると、「演劇と、あとスガシカオが好きだってプロフィールに書いてたから」とスダさんは言った。

スガシカオ

スガシカオ好きなんですかと聞くと、「斜陽」が特に好きだよと言って、その曲を何フレーズか口ずさんでくれた。

ああ、いいですよね斜陽。いいよね、それに「19歳」も好き。

 

その言葉を聞いて少し迷って、私もうすぐ19歳なんです、と白状した。

スダさんはさして興味もなさそうに、「そうなんだ、本当はもう少し下かと思った」と言ってちょっと笑った。

 

 

日付が変わる前に家に帰った。親はもう寝ていたが、劇場でもらったチラシは念のためゴミ箱に捨てた。

スダさんとはそれから一度も会っていないけれど、ロイヤルホストの前を通ることがあると、ごくまれにあの日のことを思い出す。

練馬の公園のベンチにさえ席順はある

大学名を早慶に変えると埋まってたはずの説明会の日程が全部○になるとか、あの子陰キャのくせに急に目頭切開してきたよねとか、地方に単身赴任してるお姉ちゃんが早く結婚しろって親に言われて病みかけてるとか、そういう話のなにもかもが一気に無理になった時期があって、家を出て授業に行くふりをしてずっと公園にいた。練馬の。大学4年のときだった。

 

マウンティングとかスクールカーストとか選民意識とかそういうのぜんぶ超いやと思ってそういうの気にしない人とだけ仲良くしてたのに、意外と一歩「外」に出るとそういうのはまだまだあって、絶望しかけていた。

 

 

自分がそんなシステムの中にいることを一時でも忘れたくて、ランチパックを買って練馬の駅の近くの公園のベンチで昼過ぎからボーッとしていた。

見ていたら、ふつうに座ってるだけで鳩がすごい寄ってきちゃうおじさんがいて、どういうしくみなんだろうあれ、動かないのがコツなのかとか思いながら時間をつぶすのは至福だった。

 

 

月、火、水と3日間公園にいたら気づいたことがある。

月曜、私がなんとなく時計台のそばのベンチに座って足を伸ばしていたら、こっちを見て「チッ」という顔をする女性がいた。60代くらいで、ひとりで来ているらしかった。

 

翌日、私が別のベンチでランチパック(ピーナッツ)を食べていたら、その60代女性がまた来て、きのう私がいたベンチに座った。彼女はこっちを見て、前日とは打って変わってニッコリほほえんだ。

 

水曜、その女性と、別の知り合いらしき女性がきのうと同じベンチで談笑を始めたときにようやく、「ああ、私が最初に座っちゃったのはあの人の席だったんだ」と思った。

そのまま2時間くらい本を読みながら公園にいたら、犬の散歩の人たちやお年寄り、ホームレスの人たちなどが入れ替わり立ち替わりやって来てはにこやかに会話をしているのに気づいた。

 

そうか、練馬の公園にもコミュニティはあって、コミュニティがあったら当然「席順」もあるんだな、とわかったのはそのときだった。

そのとき突然、高校生のときに河原で花火をしようとしたら、その河原に住んでいるらしき男の人が私たちのところに近づいてきて、「花火やるなら〇〇さんに許可とんないと」と説教をしてきたのを思い出した。

 

〇〇さん、は地域のそういう管理をしている人とかではなく、河原に住むホームレスの人たちのリーダー的な人だと彼は言った。

どうしてここにいない人に私たちが花火していいかどうかを決める権利があるんだ、だいたいこの河原は花火OKのルールじゃんと私は思ったが、あれはたぶん、独断でOKしてしまったら、声をかけてきた彼があとから「〇〇さん」に怒られるからだったんだろう。

 

 

 

どうやら私たちは人がたくさんいる場所で生きている限り、席順とか上下関係とかカーストとかそういうのから逃れられなくて、あーもう本当に馬鹿みたい、人を仕分けしてなにが楽しいの? と思うんだけど、たぶん無意識のうちに自分もそういうことをしている。

 

先週から行ってるジムにはヨガのプログラムがあって、私は最初にその教室に入ったとき、クラスを仕切ってるっぽい40代くらいの女性(教室に入ってくとみんなその人に「おはようございますー」と最初に言う)に「はじめて?」と聞かれ、異常に愛想よく振る舞ってしまった。たぶん、「この人に嫌われたらこのクラスに居づらくなる」という勘が働いたのだ。

 

結局私はそれじゃない、もうちょっと生徒同士が会話しない感じのサバついたクラスを選んで通うことにしたけれど、そのくらいの打算は私にもある。

 

 

 

そういうのすべてから逃れて生きていきたいけど人と会っちゃう限りは無理で、諦めて割り切るしかないんだよなと大学の頃ぶりに悩んでいた一昨日、好きなバンドのライブのライブビューイングがあった。

 

豪雨で中止になってしまったライブの振替公演のような立ち位置のライブビューイングで、中止にならなかった1日目の映像と、中止になってしまった2日目に演奏するはずだった曲の生ライブが合わせて配信された。

 

映画館で、ビールを飲みながら友達ふたりと並んで見た。左隣にはひとりで見にきている女性がいて、時折、彼女の席から「グスッ」と鼻をすする音が聞こえた。最初はそれを抑えるようにしていた彼女が、ライブ映像が進むにつれて、嗚咽する声やキャーという黄色い声を全開にしていくのが印象的だった。

反対側の隣に座っていた友達は、(彼女自身がよくそう喩えるのだけど)南国の鳥みたいな「ギャッ」「ゥグッ」という声を上げながら映像を見ていた。

 

ライブを見ているうちに、「あ、生きててよかった」とナチュラルに思った。いま好きなバンドの歌に体を揺らしているこの時間はなによりも幸せで、この映画館にいる人たちみんながそれぞれのかたちで幸せを噛み締めていて、それは嗚咽だったり咆哮だったり南国の鳥だったりするけど、誰もそれをキモいとかうるさいとか思う人はいなくて(当たり前だ)、むしろ美しく、この瞬間がいつまでも続けばいいのになと思った。

 

 

ライブビューイングが終わったあと、映画館のあるパルコのカフェで鶏そぼろ丼を食べながら、もうひとりの友達が「音楽がね、好きなんだよね」と言って笑った。

わかる。音楽、いいよねえと思った。音楽に体を揺らす最高な瞬間は永遠には続かないんだけど、その瞬間だけがこの、なかなかにイヤな世界の中で、たしかに私たちを生かしているんだと思った。

忘れちゃいそうになるけど、それをずっと覚えていたい。

いつかくる最後のことをいつも考えている

大好きだったアーティストの舞台に初めて行った高1の夏休み、ひどい雷雨で帰りの電車が止まった。仕方なく、一緒に行った友達と劇場近くのマックに入って運転の再開を待った。

舞台は、正直に言えば期待していたほどには面白くなかった。それでも、憧れの人がついさっきまで通路を挟んで目の前のステージに立っていたという記憶は、私を興奮させるには十分だった。

舞台が明転した直後、手品のように現れた主演の彼が、最初の台詞を言う前にスッと短く息を吸い込んだこと。長袖の衣装のあいだから一瞬だけ見えた肌が真っ白で、照明に照らされた手首の血管がうっすらと緑色に浮き出て見えたこと。

そういった細かいことを友達にワーッとぶつけていると(すごいいい子だったので嫌がらずに全部聞いてくれた)、携帯にようやく運転再開の知らせが入った。傘が意味のないくらいの大雨に打たれながら下北の駅まで歩くと、改札前で駅員がスピーカーを持って乗客にこう呼びかけていた。

「雷雨のため臨時ダイヤで運行しております。次にくる電車も、本来のダイヤには載っていない列車でございます」

思わず、友達と顔を見合わせた。

「めっちゃ恥ずかしいこと言っていい? なんかいまのアナウンス魔法みたいじゃない?」と私が言うと、「思った! めっちゃ魔法!」と彼女が笑った。

時間の表示だけがぽっかり空いた電光掲示板を見ながら、今日みたいな夜が死ぬまで続けばいいけど、たぶん私は今日をいずれ思い出せなくなるんだろうな、と思った。

 

 

……という話をミクシィの日記に書いたのはもう10年前のことだ。私はいま、忘れかけている当時のことを、半年ぶりにログインしたミクシィに残されていた自分の文章と照らし合わせながらここに書いている。

当時の日記に、年上の友達から「臨時ダイヤごときで感動するとか、そういうの初めてなんだな」というコメントがついていた。

10年前の自分はそれに「そんくらい感動させてよ! 余韻余韻!笑」と返していて、若干イラついているのがにじみ出てしまっている返信で笑ったが、この日の私はたしかに「臨時ダイヤごとき」で感動したのだ。

 

 

5年前、10年前にはたしかに感じたことを、最近少しずつ忘れていく。

15歳くらいまで、自分の人生の最初の記憶はディズニーランドに一緒に行った「青山のおばさん」がシンデレラ城前でアイスクリームを私のベビーカーに落としてしまったことだと覚えていたけれど、いまはもうディズニーランドも、落ちたアイスクリームも、ついでに言えば「青山のおばさん」が何者だったのかも思い出せない。

思い出す回数が月に1回から半年に1回になって、1年に1回も思い出せなくなって、ついには忘れてしまう。それが嫌なので、なにか久々に思い出す出来事があると、「ああ、あの日のことを思い出すのは今日が人生で最後かもしれないな」といちいち想像して噛みしめる癖がついてしまった。

 

 

最後に母親におんぶをされたときのこともそうやって覚えている。小6で、本当はもうおんぶという歳でもなくて、母親にふざけ半分で重いよと自己申告しておぶってもらった記憶がある。

実家の玄関で母の背中によじり登りながら「これがたぶん、私が人生でされる最後のおんぶだろうな」と思ったら、うっかりすこし泣いてしまった。

月9ドラマの『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』に「私は新しいペンを買ったその日から、それが書けなくなる日のことを想像してしまう人間です」という台詞があったけれど、ああわかると思う。私はそうやって、いつかくる最後のことをいつも考えている。

 

 

もう見られない、と覚悟して見る光景はすべて美しい。2年前に別れた恋人と最後に会った日の夜、新宿西口の交差点を渡りながら見たビックエコーの看板は、人生で見たビックエコーのなかで一番きれいだった。コンタクトを外したときみたいに、雨でもないのにすべての色の光が丸く滲んで見えた。

ちょっと前に仕事でその交差点を通りかかったとき、あの夜の新宿が綺麗だったことをふと思い出して、「あ、忘れかけてる」と思った。今日これを書き終えたら、私はたぶんもうあの日のことを思い出さない。

客のいない店の店主は

写真を撮るためにそこに置かれた物の位置を替える、みたいなことを今年は極力しないようにしたいと友人が何年か前に言っていた(もしかすると言ったんじゃなくてツイートしてたのかもしれない。記憶が曖昧)。ああいいなと思って、たまに写真を撮ることがあるとその言葉を思い出す。

 

もちろん取材の仕事なんかで人やものを撮るときは、写さなければいけないものと写してはいけないものがはっきりしている、のでガサゴソと名刺やらパイプ椅子やら中途半端に開いたカーテンやらを端に追いやって“写真用の画”を作ることになる。その行為自体はたぶん正しい。

 

ただ、その正しさのコードをプライベートの生活空間にも持ち込んでしまうことが時どきあって、そういう自分の振る舞いに気づくと「だせえ」と思う。パイプ椅子的なものや中途半端に開いたカーテン的なものを徹底的に排除した先にある風景は、彩度が高く、非現実的で、うらさみしい。

 

 

 

 

高校生のときにブックオフで見つけた、いまで言うZINEのような小冊子(なんでそんなものが五反田のブックオフに売っていたのか)に、シュペルヴィエルの『場所を与える』という短い詩が載っていた。訳は中村真一郎氏。

 

君はちょっと消えて、風景に場所を与えたまえ。
庭は大洪水以前のように美しくなるだろう。
人間がいなくなれば、さぼてんはまた植物に戻るだろう。
君を逃れようとする根方に、何も見てはいけない。
眼も閉じたまえ。
草を君の夢の外に生えさせたまえ。
それから君はどうなったか見に戻ればいい。

 

正直、その冊子に載っていたほかの文章はあまり覚えてないが、この詩だけは記憶に残った。初めて読んだ瞬間、喉の奥のほうから言語化しきれないうれしさと驚きがせり上がってきてちょっとブルッとしたくらいだった。

“草を君の夢の外に生えさせたまえ。”

“それから君はどうなったか見に戻ればいい。”

 

 

 

 

すこし前、人との待ち合わせまで時間が空いて都心をブラブラしていたら、雑居ビルの立ち並ぶ裏通りに喫茶店の看板を見つけた。その書体やイラストの感じからたぶんいい店だろうとあたりをつけ、階段を上った。

 

録音スタジオのような重いドアを引きながら、あ、もしかするとジャズ喫茶かもしれないと思ったのが先か、音楽が聞こえたのが先か覚えていない。

視線のむこうに、店のど真ん中のテーブルに腰かけて新聞を読む店主がいた。客はひとりもおらず、ただ爆音でジャズがかかっていた。年配の店主は、何時間も前からその爆音の弾に当たり続けていたような険しい顔でこちらを見て、組んでいた足を下ろし、新聞を閉じた。

 

カウンターでコーヒーを飲みながらずっとどきどきしていた。絵のようなシーンを壊してしまった罪悪感と、店に相応しい客かどうかカウンター越しに審査されているのではないかという緊張感で手が震えた。座った席の目の前にはレコードが積まれていて、店主の顔はそれきり一度も見えなかった。

 

コーヒーを飲み終えたとき、怒られるかもしれないと思いながらも「美味しかったです」と伝えた。店主がちょっと相好を崩して「また」と言ってくれたので、ああ怒ってなかったんだ、と思った。 重いドアを肩で押して、店を出た。

 

 

 

待ち合わせ場所にはまだ誰も来ていなかった。

店でかかっていた曲をSpotifyで探していたらふと、あの店主はいま、人のいなくなった店の真ん中のテーブルに戻ってふたたび新聞を広げているところなんじゃないか、という考えが頭をよぎった。

 

夜にさしかかる街の下で、客のいない店にいまこの瞬間も立ち続けて(あるいは座り続けて)いる無数の店主たちのことを思った。想像の中のその光景はどれも美しかった。

 

亀のいる家

実家の匂いというものに初めて気づいた。1ヶ月ぶりに帰ったら、小学校のときに友達の家の玄関で感じたようなビミョーな違和感があって、靴を脱ぎ終えて初めて「あ、これがこのうちの匂いだったのか」と気づいた。手を洗ったり夫と話したりしていたら違和感は少しずつ小さくなっていって、やがて消えた。一瞬の出来事だった。どの家にもその住宅特有の匂いがあるということに気づくのは、他人の家に招かれたときだけだと思っていた。

 

実家の庭、とはっきり言いきっていいのか分からない、しいて言うなら庭、的なスペース(子どもの頃、揺らすと音楽が鳴る小さいブランコが置いてあった)を通って玄関のドアを開けるまでの10秒あまりのあいだに、物置き、牛乳の配達箱、名前を知らない花の鉢植えが一直線に目の端を通り過ぎ、ひとつひとつに対して律儀に「ああそうだった、そうだった、そうだった」と思った。

目の前のドアを開けたらとどめを刺されるという予感がしていたが、開けるしかなかった。

果たしてその向こうには私が完璧に知っているレイアウトの玄関があって、私の鼻はどこかよその家の匂いを感じとっていた。リビングから出てきた母に「なんかお香焚いてる?」と聞こうかすごく迷って、聞かなかった。

 

 

2階に上がると亀は私の部屋で寝ていた。

亀のことは引っ越しが決まった春から何度も新居に連れていこうとしているのに、父が毎回それらしい理由(ヒーターがいらない季節になってからのほうがいい、雨の日じゃないほうがいい、きょうは調子悪そうだから元気なときのほうがいい)をつけて渋るので仕方なく実家に置いていた。

私が水槽に近づくと、亀はビクッとして首を引っ込めた。ただいま、とか元気か、とか言ってしばらく私が水槽の前でじっとしていても、亀はこちらをまっすぐに見て黙っていた。

父が部屋に入ってきて「水汚いだろ」と言った。こいつ飼い主のことを忘れてやがる、と私が言うと、父は本気なのか冗談なのか分からない深刻なトーンで「そう……」と噛みしめるように言った。

体の水を拭いて亀をフローリングの上に乗せると、少しだけキョトンとしてから歩き出す。フローリングには3ヶ月前にはなかったシミがついていた。

夫が2階に上がってきて「あ、のろ」と言った。私も思い出したように「のろ」と名前を呼んだ。

のろはどちらの声も無視してベッドの下の暗がりに歩いていった。

 

 

1階の台所に降りていって亀の話をしても、母は興味のない素振りだった。アイスコーヒー用のガムシロップとミルクを探していたので、それらが入った小さいポットを棚から出して盆に載せた。

あーありがとう持ってって、と母に言われて盆を持ち上げたが、考えてみれば父、母、夫、私の誰もふだんコーヒーにガムシロップは入れない。「──ちゃんはこれいらないと思う」と私が夫の名前を言うと、それでも一応置いときなさいと母は言った。

大雨に関するニュースを4人で見ているあいだ、リビングのテーブルの上には「一応」のガムシロップとミルクがずっと置かれていた。いつ棚にしまうか考えた挙げ句、私きょうはガムシロ入れよっかななどと言って自分で使った。

知らなかったけれどガムシロ入りのコーヒーはまずい。

 

 

たぶん、1ヶ月という微妙な期間がよくなかったのだと思った。1週間ぶりとかなら普通に「おう、ただいま」ってなるし、半年とか1年ぶりならそれはそれで腹を決めて、知らぬ間に模様替えされた部屋だとか帰省らしい顔をする自分だとかに淋しくなったりすればいいのだ。1ヶ月はものすごく中途半端だった。最悪だった。

 

 

むかし、母と世間話をしていたとき、「練馬のおばさんが」と言われて「練馬のおばさんってなんで練馬に住んでるだけで練馬のおばさんって呼ばれてるの、かわいそう」と言ったことがあった。「おばあちゃんの2番目の妹さんが、とか4番目の妹さんが、とかいちいち言うほうがおかしいでしょう」と母に言われて確かにそうだとも思ったが、だからって練馬の家がとか蒲田の家がとか言うのはなんか変な感じがしたのだった。

 

きょう、夫と住む家に帰ってきてから用事を思い出して実家に電話をかけた。母と話しながら「家に、あ、ええとうちじゃなくてそっちの、──の家に」と自然と口に出たのは実家のある街の名前だった。

ああ確かにこの言い方は便利だ、と思った。電話を切ってからワンワン泣いた。

「iPhoneやばいですね」

酔って落としたり踏んづけたりを繰り返していたらiPhoneの画面がいよいよバキバキに割れ、電話中に突如音量がめちゃくちゃになったり、画面の灯りが一日中消えず夜その明るさでうなされたりするようになってしまった。

半年に1度くらいのペースで訪れている出張先の島のクライアントのおじさんが「あらら~、見るたびにひどくなるねえ、ウフフ」と毎回楽しそうにするのでどこまでひどくなるか試してみたい気持ちも強かったのだが、さすがにあと半年待っていたら昔のケータイみたいに半分に折れてしまうんじゃないかという気がして(それくらいひどいバキバキだった)、そうなったらそうなったでより一層楽しそうな「ウフフ」が聞けるだろうなあとも思いつつ、断腸の思いでiPhoneを買い替えた。

 

 

電話の開通を待っているとき、平日の昼間で暇だったからか、あるいは私がいかにも暇そうだったからか、ビックカメラのお兄さんに人生相談をされた。

契約書類に書かれた私の生年月日を見てから敬語が心なしかぎこちなくなったので、たぶん彼のほうが2,3歳年下だったと思う。明示はしなかったがおそらく新卒で売り場に入ったようで、本部にいる先輩らしき人に何回か電話で確認をしながら手続きをしていた。「在宅で仕事してる方って職場の連絡先の欄どうすればいいんですかね」とおそるおそる先輩に尋ねる彼は、クーラーの効いた売り場で一人うっすら汗をかいていた。

 

機種変のときって店員さんいろいろ書かなきゃいけなくて大変ですよね、という話が世間話になり、最終的に進路相談になった。北海道から上京してきたという彼は爽やかなスポーツ青年風だったが「人と話すのが苦手で」と言うので、一緒一緒、と盛り上がった。彼がiPadにペンで何かを書き込んでいるとき、その手がすこし震えているのには気づいていた。

「僕なんて世間のことまだまだ何も分からないので」と彼は何度も言った。

分からないというのは怖いことだよなと思う。私もまだ世間のことなんて何ひとつ分からないから毎日怖い。彼にとっていまカウンター越しに話をしている私が「世間」に見えてないといいと思い、必要以上に世間らしくなく振る舞った。

転職しようか迷っているという話のあとはちょっと手持ち無沙汰になってしまい、詳しくもないのに「サッカー見るんですか」と聞いて「あ、見ないです」と返された。

 

 

 

iPhoneやばいですね」というのは会話のひと言目としてちょうどよかったようで、わりにいろんな人にiPhoneをきっかけに声をかけられた。先々週渋谷で飲んで、終電の埼京線に乗っていたときもそうだった。

 

目の前に立った若いサラリーマンが、私のiPhoneを指さして突如「やばいですね」と言った。めくれ上がっている基盤を見せて「ここが夜中にフワッと光る」と言うと彼は笑って、「飲みの帰りですか」と言った。

もう一杯どうですかみたいな感じではなく、ただ世間話がしたいといった雰囲気だったので、自然と会話は続いた。実家から会社に通っているが、ギリ都心まで1時間で行けてしまう距離なので家を出るタイミングが分からないと彼は話した。

 

会話が途切れてボーっとしていたら、「変なこと聞いていいですか」と訊かれた。うわ、なんだよと思ったので微妙な顔で頷いたら、「自分がすごく尊敬してた人が、実は尊敬するに値しない人物だったって気づいたらお姉さんどうしますか」と言う。

隣で音楽を聴いていた大学生らしき若者が顔を上げてちらっと私たちを見た。

面食らったが、酔っていたので言葉だけはすらすら出た。聞くと、会社に新卒のときからずっと尊敬していた男の先輩がいるが、その先輩が「尊敬するに値しない人物」だということにここ数日で気づかされたという話だった。なんでそれに気づいたのか、尊敬するに値しないというのはどういうことかについては教えてくれなかった。

「ショックだったんだよねえ」と彼は笑いながら言った。

その先輩に認めてもらうために仕事をしていたフシがあるので、一気にモチベーションが湧かなくなってしまったという。お姉さんは尊敬してる先輩いる? と言われてフリーランスだと話すと、俺の友達にもいるけどフリーの人って大変だよね、でも毎日人と関わらなくていいのはいいなあと笑った。

端から端までぜんぶ尊敬できる人なんてたぶんいないんじゃないの、と私が適当なことを言うと、「そうかあ」と言って彼はちょっと下を向いた。

私も昔、神さまみたいに思ってた人がいたけど、よく考えたらその人は普通に人間だったけどなんだかんだ好きだよ、と早口で言った。彼は「あー分かる、神さま」と言ってもっと下を向いた。

 

電車を降りるとき、酔いから来る妙な連帯感に背中を押されるようにして、「仕事頑張ってね、私も頑張る」などとのたまった。彼は「うん、頑張る。お姉さんも頑張って」と言って、「またね」「iPhone直しなね」と肩を叩きあって別れた。

 

 

これを書くまで彼の言葉なんてすっかり忘れていたが、結果的に私はその翌週ビックカメラを訪れてiPhoneを直した。新しいiPhone8は電話中に急にスピーカーモードにならないし、カメラのフォーカスも完璧に合う。

ただ、これから先は15分だけ自分の話を誰かに聞いてほしい人が終電に乗っていても、たぶん私には話しかけてくれないんだろうなと思う。