湯葉日記

日記です

いつかくる最後のことをいつも考えている

大好きだったアーティストの舞台に初めて行った高1の夏休み、ひどい雷雨で帰りの電車が止まった。仕方なく、一緒に行った友達と劇場近くのマックに入って運転の再開を待った。

舞台は、正直に言えば期待していたほどには面白くなかった。それでも、憧れの人がついさっきまで通路を挟んで目の前のステージに立っていたという記憶は、私を興奮させるには十分だった。

舞台が明転した直後、手品のように現れた主演の彼が、最初の台詞を言う前にスッと短く息を吸い込んだこと。長袖の衣装のあいだから一瞬だけ見えた肌が真っ白で、照明に照らされた手首の血管がうっすらと緑色に浮き出て見えたこと。

そういった細かいことを友達にワーッとぶつけていると(すごいいい子だったので嫌がらずに全部聞いてくれた)、携帯にようやく運転再開の知らせが入った。傘が意味のないくらいの大雨に打たれながら下北の駅まで歩くと、改札前で駅員がスピーカーを持って乗客にこう呼びかけていた。

「雷雨のため臨時ダイヤで運行しております。次にくる電車も、本来のダイヤには載っていない列車でございます」

思わず、友達と顔を見合わせた。

「めっちゃ恥ずかしいこと言っていい? なんかいまのアナウンス魔法みたいじゃない?」と私が言うと、「思った! めっちゃ魔法!」と彼女が笑った。

時間の表示だけがぽっかり空いた電光掲示板を見ながら、今日みたいな夜が死ぬまで続けばいいけど、たぶん私は今日をいずれ思い出せなくなるんだろうな、と思った。

 

 

……という話をミクシィの日記に書いたのはもう10年前のことだ。私はいま、忘れかけている当時のことを、半年ぶりにログインしたミクシィに残されていた自分の文章と照らし合わせながらここに書いている。

当時の日記に、年上の友達から「臨時ダイヤごときで感動するとか、そういうの初めてなんだな」というコメントがついていた。

10年前の自分はそれに「そんくらい感動させてよ! 余韻余韻!笑」と返していて、若干イラついているのがにじみ出てしまっている返信で笑ったが、この日の私はたしかに「臨時ダイヤごとき」で感動したのだ。

 

 

5年前、10年前にはたしかに感じたことを、最近少しずつ忘れていく。

15歳くらいまで、自分の人生の最初の記憶はディズニーランドに一緒に行った「青山のおばさん」がシンデレラ城前でアイスクリームを私のベビーカーに落としてしまったことだと覚えていたけれど、いまはもうディズニーランドも、落ちたアイスクリームも、ついでに言えば「青山のおばさん」が何者だったのかも思い出せない。

思い出す回数が月に1回から半年に1回になって、1年に1回も思い出せなくなって、ついには忘れてしまう。それが嫌なので、なにか久々に思い出す出来事があると、「ああ、あの日のことを思い出すのは今日が人生で最後かもしれないな」といちいち想像して噛みしめる癖がついてしまった。

 

 

最後に母親におんぶをされたときのこともそうやって覚えている。小6で、本当はもうおんぶという歳でもなくて、母親にふざけ半分で重いよと自己申告しておぶってもらった記憶がある。

実家の玄関で母の背中によじり登りながら「これがたぶん、私が人生でされる最後のおんぶだろうな」と思ったら、うっかりすこし泣いてしまった。

月9ドラマの『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』に「私は新しいペンを買ったその日から、それが書けなくなる日のことを想像してしまう人間です」という台詞があったけれど、ああわかると思う。私はそうやって、いつかくる最後のことをいつも考えている。

 

 

もう見られない、と覚悟して見る光景はすべて美しい。2年前に別れた恋人と最後に会った日の夜、新宿西口の交差点を渡りながら見たビックエコーの看板は、人生で見たビックエコーのなかで一番きれいだった。コンタクトを外したときみたいに、雨でもないのにすべての色の光が丸く滲んで見えた。

ちょっと前に仕事でその交差点を通りかかったとき、あの夜の新宿が綺麗だったことをふと思い出して、「あ、忘れかけてる」と思った。今日これを書き終えたら、私はたぶんもうあの日のことを思い出さない。