湯葉日記

日記です

「iPhoneやばいですね」

酔って落としたり踏んづけたりを繰り返していたらiPhoneの画面がいよいよバキバキに割れ、電話中に突如音量がめちゃくちゃになったり、画面の灯りが一日中消えず夜その明るさでうなされたりするようになってしまった。

半年に1度くらいのペースで訪れている出張先の島のクライアントのおじさんが「あらら~、見るたびにひどくなるねえ、ウフフ」と毎回楽しそうにするのでどこまでひどくなるか試してみたい気持ちも強かったのだが、さすがにあと半年待っていたら昔のケータイみたいに半分に折れてしまうんじゃないかという気がして(それくらいひどいバキバキだった)、そうなったらそうなったでより一層楽しそうな「ウフフ」が聞けるだろうなあとも思いつつ、断腸の思いでiPhoneを買い替えた。

 

 

電話の開通を待っているとき、平日の昼間で暇だったからか、あるいは私がいかにも暇そうだったからか、ビックカメラのお兄さんに人生相談をされた。

契約書類に書かれた私の生年月日を見てから敬語が心なしかぎこちなくなったので、たぶん彼のほうが2,3歳年下だったと思う。明示はしなかったがおそらく新卒で売り場に入ったようで、本部にいる先輩らしき人に何回か電話で確認をしながら手続きをしていた。「在宅で仕事してる方って職場の連絡先の欄どうすればいいんですかね」とおそるおそる先輩に尋ねる彼は、クーラーの効いた売り場で一人うっすら汗をかいていた。

 

機種変のときって店員さんいろいろ書かなきゃいけなくて大変ですよね、という話が世間話になり、最終的に進路相談になった。北海道から上京してきたという彼は爽やかなスポーツ青年風だったが「人と話すのが苦手で」と言うので、一緒一緒、と盛り上がった。彼がiPadにペンで何かを書き込んでいるとき、その手がすこし震えているのには気づいていた。

「僕なんて世間のことまだまだ何も分からないので」と彼は何度も言った。

分からないというのは怖いことだよなと思う。私もまだ世間のことなんて何ひとつ分からないから毎日怖い。彼にとっていまカウンター越しに話をしている私が「世間」に見えてないといいと思い、必要以上に世間らしくなく振る舞った。

転職しようか迷っているという話のあとはちょっと手持ち無沙汰になってしまい、詳しくもないのに「サッカー見るんですか」と聞いて「あ、見ないです」と返された。

 

 

 

iPhoneやばいですね」というのは会話のひと言目としてちょうどよかったようで、わりにいろんな人にiPhoneをきっかけに声をかけられた。先々週渋谷で飲んで、終電の埼京線に乗っていたときもそうだった。

 

目の前に立った若いサラリーマンが、私のiPhoneを指さして突如「やばいですね」と言った。めくれ上がっている基盤を見せて「ここが夜中にフワッと光る」と言うと彼は笑って、「飲みの帰りですか」と言った。

もう一杯どうですかみたいな感じではなく、ただ世間話がしたいといった雰囲気だったので、自然と会話は続いた。実家から会社に通っているが、ギリ都心まで1時間で行けてしまう距離なので家を出るタイミングが分からないと彼は話した。

 

会話が途切れてボーっとしていたら、「変なこと聞いていいですか」と訊かれた。うわ、なんだよと思ったので微妙な顔で頷いたら、「自分がすごく尊敬してた人が、実は尊敬するに値しない人物だったって気づいたらお姉さんどうしますか」と言う。

隣で音楽を聴いていた大学生らしき若者が顔を上げてちらっと私たちを見た。

面食らったが、酔っていたので言葉だけはすらすら出た。聞くと、会社に新卒のときからずっと尊敬していた男の先輩がいるが、その先輩が「尊敬するに値しない人物」だということにここ数日で気づかされたという話だった。なんでそれに気づいたのか、尊敬するに値しないというのはどういうことかについては教えてくれなかった。

「ショックだったんだよねえ」と彼は笑いながら言った。

その先輩に認めてもらうために仕事をしていたフシがあるので、一気にモチベーションが湧かなくなってしまったという。お姉さんは尊敬してる先輩いる? と言われてフリーランスだと話すと、俺の友達にもいるけどフリーの人って大変だよね、でも毎日人と関わらなくていいのはいいなあと笑った。

端から端までぜんぶ尊敬できる人なんてたぶんいないんじゃないの、と私が適当なことを言うと、「そうかあ」と言って彼はちょっと下を向いた。

私も昔、神さまみたいに思ってた人がいたけど、よく考えたらその人は普通に人間だったけどなんだかんだ好きだよ、と早口で言った。彼は「あー分かる、神さま」と言ってもっと下を向いた。

 

電車を降りるとき、酔いから来る妙な連帯感に背中を押されるようにして、「仕事頑張ってね、私も頑張る」などとのたまった。彼は「うん、頑張る。お姉さんも頑張って」と言って、「またね」「iPhone直しなね」と肩を叩きあって別れた。

 

 

これを書くまで彼の言葉なんてすっかり忘れていたが、結果的に私はその翌週ビックカメラを訪れてiPhoneを直した。新しいiPhone8は電話中に急にスピーカーモードにならないし、カメラのフォーカスも完璧に合う。

ただ、これから先は15分だけ自分の話を誰かに聞いてほしい人が終電に乗っていても、たぶん私には話しかけてくれないんだろうなと思う。