湯葉日記

日記です

東京の人って、

1度だけ、東京タワーにひとりで登ったことがある。曇りで、平日で、私は大学4年生だった。

その日の東京タワーは恐ろしく空いていて、客よりもスタッフのほうが多いんじゃないかってレベルだった。受付やらエレベーターガールやら土産物屋のひとも、みんなどこか素の顔をしていた。

なんで登ったのか、333メートルから何を見たのか、そのとき何を考えていたか、全部あまり覚えていない。

ただ、「今日は東京タワーに登らなくちゃ」と強く思ったことと、ガラス張りの床の真上でヒールが折れそうになって、すごく怖かったことだけを記憶している。

 


「俺、東京タワーが見える部屋には住めないなって思って」。
すこし前、久々に話した友人がそう言った。彼は引っ越すことになって、最初は御成門の近くで部屋を探していたそうだ。けれど、内見に行った先で窓からばーんと東京タワーが見えてしまって、「なんかそれは違う」と思ったらしい。

別に見えてもいいじゃないですか、と言う私に、「だって俺0時ぴったりに指パチンとかしないし」と彼は笑う。私も笑ったけれど、そうか、“東京タワーが見える部屋”ってそういうことなのか、とすこし考えてしまった。

 

私にとって、東京タワーは原風景だ。中高の6年間、品川の学校に通っていた。私は健全な神経をした10代だったので、毎朝三田駅のホームで電車を待っていると、週のだいたい半分くらいは理由もなく憂鬱になった。
そんなとき、繰り返すけれど健全な10代だった私は、学校をサボる……まではいかないけれど遅刻した。
三田をぶらつくか、ひどいときはそのまま京急に乗って羽田まで行ったりしていた(後者の場合はさすがに、ぼんやりと空港を行き交う人々を見て帰ってきたけれど)。

三田を歩いていると、きまって近くに東京タワーが見えた。iPodをポケットの中でいじりながら、少しずつ、すこしずつ東京タワーに向かって歩いた。
朝8時の三田に、東京タワーを見上げて歩いている人間なんて皆無だ。スーツを着た人たちが時折こちらを見た。ごく稀に「どこ探してるの?」と声をかけられて「サボってます」と答えると、皆笑って通り過ぎて行った。

こう書くとよっぽど友達いなかったみたいだけど(実際少なかった)、部活には入っていた。軽音部で、下手くそなギターを弾いていた。
高校2年の文化祭の最終日に、ホールでライブをして、それが死ぬほど楽しかった。Base ball bearの“17才”をやった。
打ち上げは三田のサイゼリヤだったのだけど、私は学校を出てからも、電車の中でも、三田に着いてもぐずぐずと泣いていた。
もう陽は落ちていて、東京タワーは明るく灯っていた。滲んだそれに向かって歩きながら、「私がいつか大人になって“青春っていつだったんだろう”って思い返すことがあったなら、それは今日だと覚えておこう」と思った。

 

上京してきた人がよく、「東京に負けねえ」と言うのを聞く。
私には「負けねえ」なんて思える相手はいないので、いつもそれを羨ましく思うのだけど、たまにすこし寂しくなる。
だって、私のふるさとは東京だ。満員電車に酔ったって、校庭が狭いから100メートル走は斜めに走らなければいけなくたって、どんな真夜中でも騒いでいる人たちの声が聞こえたって、私にはここが生まれ育った場所なんだから仕方ない。

ただ、別の友人がこうも言っていた。
「東京の人ってかわいそう。くるりの “東京” 聴いて、泣けないでしょう?」

私はそれに頷こうか、いつも迷う。