湯葉日記

日記です

私とスポーツ

神宮球場で野球のナイターを見てきた。予報だと夜は雨がぱらつくとのことだったのだけど、快晴(私は柄でもなく晴れ女なのだ)。
ヤクルトに点が入ると客席じゅうにカラフルな傘が広がる。その様がなかなかに美しかった。球場は終始むせそうに暑くて、バックネット裏真正面から見おろすグラウンドはどこかゲームの野球盤みたいに見えた。試合の途中で花火もあがった。応援していた横浜はボロ負けしたけれど、いい夜だった。

帰りの電車で友人に感想をLINEしたら、「ねえ、最近どうしたの?」と訊かれた。苦笑したけれど、私も照れからか「気が狂った」と返してしまう。自分がスポーツ観戦するようになるなんて、自分がいちばん思わなかった。

 

 

 

さいころからスポーツが嫌いだった。「嫌い」という感情に1から100のツマミがあるとしたら、120くらいのボリュームで嫌いだった。

なぜか? それはすごくシンプルで、スポーツができなかったからだ。

学生時代に体操部だったという母はスポーツ万能で、50を超えたいまでも余裕で3重跳びができるような人間だ。彼女は娘も当然その血を引いていると思ったのだろうが、7歳でスイミングスクールに通わされた私は、平泳ぎひとつを習得するのに驚くほど時間がかかるような子どもだった。

同じスクールにいた同級生のSちゃんはセンスがよくて、見る見るうちに上達していった。私がばしゃばしゃと水を掻いていると、隣のレーンでバタフライをしているSちゃんがスイーッと泳いでいった。
私は元来そういうとき、悔しい!もっと練習してやる!と思うタイプではなく、もう嫌だ死のうと思う側の人間だ。泳ぎは依然として上達せず、卑屈になり、毎日のように「水泳をやめたい」と母に話した。母は鬼なので、静かに「続けなさい馬鹿」と言うだけだった。レッスンが終わって、自販機で買ったアイスを食べているときだけが心の休まる時間だった。

 


水泳ができなくても、他のスポーツならできると思った。小4のときに初めてのクラブ活動でサッカー部を選んだのは、仲のよかった友達が所属していたのもあるけれど、「球技ならできるかも」と考えたからだ。

でも、球技はもっとできなかった。書いていて悲しくなってきてしまったので詳述はしないけど、6年生の先輩が「しほちゃん! ボールを怖がらないで!」と試合中ずっと叫んでいて、とにかく怖かった。私が1年間のクラブ活動で決めた唯一のゴールはオウンゴールだった。

 


そんな風にして、幼少期に「スポーツがすごく苦手なんだ」と強く思い込んだ私は、自己暗示のようにあらゆるスポーツがすさまじく苦手になっていった。逆上がりはできない。大縄には入れない。ドッジボールではボールを避けられず怪我をする……。
体育の時間がくるとお腹が痛くなった。仲のいい友達も、体育の授業中は私とペアを組むことを露骨に嫌がった。

でも、中学高校と進学してゆくうちに、私はひとつのライフハックを覚えた。そう、「見学」だ。
高校では見学者はレポートを書くことが義務付けられていて、それはド文系の私にとってはむしろご褒美だった。かなり頻繁に見学しても、レポートを裏面までぎっしり書く生徒に体育教師はさして苦言を呈さなかった。

そのようにして、私は順調に運動というものを忘れていった。たまに体育に参加しても、一度として「本気で」体を動かしはしなかった。本気で走ったら、本気でボールを投げたら、自分の体がどのように作用するのか、しだいに分からなくなっていった。水泳の授業はけっきょく中高すべて見学を貫き通したので、泳ぐというのがどんな動作だったか、プールの水の冷たさ、あの匂い、それらすべてさえも、私は本当に忘れてしまった。

 


私がスポーツにふたたび向き合おうとし始めたのは、たぶん、手術したことと関係があるのだと思う。

いまは元気だけれど、人生で初めてつよく健康を損なうという経験をして、人は簡単に死ぬんだ、と思った。そうしたら、痩せようと思った中学のときにも、ダンスが流行った高校のときにも一度として考えなかった「運動をする」という選択肢がふっと浮かんだ。

すこし前、恐るおそる、彼氏に「運動がしたい」と言った。去年いちど好奇心でバッティングセンターについて行って大泣きした私を知っている彼は「なんで?大丈夫なの?本当に?」と聞いてきた。私はいくら劣等感が刺激されてももう泣かないことを約束し、最初はハードすぎない運動をということで、トランポリンができる施設にいっしょに行った。
トランポリンは、やっぱり全然できなかった。まっすぐに跳ぶだけでも難しくて、それでも、跳ぶことは思っていたよりも怖くない、と思った。

 


夏のはじめ、地元にヨガの教室を見つけて、体験レッスンに行くことを決めた。申し込みメールを打ちながら、何度もやめようと思った。スイミングスクールや体育の授業は、教師の前で体を動かすことが強いトラウマになるには十分すぎる記憶だった。
それでもなんとかメールを送信したら、すぐに返信がきた。「初めての方が来てくださるのは本当に嬉しいです!」という言葉が添えてあった。私は嬉しくなって、その先生のフェイスブックやらブログの過去の記事やらをすべて読んで、怖くなさそうな人であることを確認したうえでレッスンに向かった。

道に迷ったと連絡を入れた私がスタジオのそばをうろうろしているのを見つけると、先生は大きく手を振ってくれた。彼女は炎天下、建物の外で私を探してくれていたのだった。

ヨガが始まると、スタジオがすこし暗くなった。「目を瞑ってください」と言われてホッとする。体を動かしている姿を終始人に見られるのは怖かったし、前方が鏡なので、ついていけない自分の姿がずっと見えていると泣くような気がした。先生はやわらかなトーンでポーズを指示してゆく。まったくついていけない。オロオロし始めた私に、「慌てなくていいですよ。できないポーズはお休みしていても大丈夫です」と彼女は言ってくれた。

ヒジとヒザを間違えてちぐはぐなポーズをとったりしながらも、私はなんとか1時間のレッスンを終えた。体にうっすらと汗をかいていて、喉が渇いていた。そんな生理反応さえも数年ぶりだったので妙に感動してしまって、ヨガマットに横になりながら、ずいぶん長いあいだ天井を眺めていた。それからアンケートの「入会」にマルをつけて、ヨガ教室をあとにした。

 

 

 

私はそのようにして「運動」を取り戻した。こんな言い方大げさで笑ってしまうけれど、ひとつの時代が終わり、新たな名前のついた時代が始まるような出来事だった。

ヨガはちゃんと続くのか? まだ自分でも分からない。けれど少なくとも、体を動かすことが「楽しい」と思えるまでは続けようと思う。
まだ人生でいちどもスポーツを楽しいと感じたことがないから、その感覚を味わってみたい。公園で足元に転がってきたボールを投げ返してみたい。ボウリングに行ってみたい。プロのスポーツの試合を見て劣等感に苛まれるのではなく、大きな声をあげて応援してみたい。失ってしまった時間を、私はこれから取り戻しにゆく。