湯葉日記

日記です

忘れる体、やわらか青豆、400円

2020/9/13

長い眠りから起きるとき、たいてい体の右か左を壁に大きくぶつける。10時間くらい寝ると脳がアパートのドアや家具の配置をぜんぶ忘れてしまうしくみになっているみたいで、目を覚ましてから数秒のあいだ、自分が家の全体図に対してどのへんにいるのかが毎回わからない。いったん勘で体を起こしてみて、あっこういう部屋だったなと思う。そうやって起きるたびに体に記憶をしまい直す。幽体離脱をしていたひとのところに意識が戻ってくるときとかもこんな感じだという気がする。

 

生理痛で寝込んでいた。窓を開けようと両足を床につけたら歩けなくて驚く。痛みで、ではなくて、寝すぎて体が動揺していた。えっ起きるんすかと体に聞かれて、うん、たまにはと答える。そういうこともするんすね。ときどきね。窓を開けたら夜だった。

 

サイゼリヤに行こうと思って部屋を出た。風がひんやりしていて、体が薄い紙になってなびいているみたいだった。あー知っていますこれは秋、と思った。夏のあいだは一瞬の集合みたいだった空気が束ねた記憶の連続に変わっていて、否が応でも時間のことを考えてしまう。風が肌に触れたところから砂になってうしろに散っていきそうで、泣きそうになって振り返ったら犬がいた。犬、と思ったら風が止まった。犬はいつも意識の位置をいまに戻してくれるので本当にすごい。

 

注文方式が筆記に切り替わってからサイゼリヤには4回行った。席についてから財布を見て、1200円しか持っていないことに気づく。チョリソー、やわらか青豆の温サラダ、ドリンクバーを頼んで、残り400円分はゆっくり迷おうと思った。店員さんの手元を見ていたら、メニュー番号を見ただけで該当する商品の名前を思い出していることがわかって驚愕した。やわらか青豆の温サラダは上に乗っている温泉卵とやわらか青豆の相性が大してよくなく、いっしょに食べると急に無味になるのだけどそれがおもしろくていつも頼んでしまう。郡司ペギオ幸夫の『やってくる』をすこし読む。

 

あとから結局チョコレートケーキを注文し、ドリンクバーでコーヒーのおかわりを汲んでいるとき、店員さんにチョコレートケーキが品切れだったと告げられる。ええとじゃあ別の頼んでもいいですか、と言うと、決めたらまた呼んでください、と言われたので席に戻って考える。

400円を最大限に活かしたい。チョコレートケーキ以外のデザートならプリンとティラミスの盛り合わせが食べたいけど100円足りない。しいて言うならトリュフアイスクリーム? と番号を記入したが、よくよく考えるとそんなに食べたくない気がした。斜線で訂正し、代わりにペンネアラビアータの番号にする。注文ボタンを押そうとして、この人チョコレートケーキからめちゃくちゃ飛躍したなと思われるのが急に恥ずかしくなり、やっぱりイタリアンプリン単品に訂正する。注文を取りにきた店員が番号の痕跡を見て「1回デザートやめたんですね」と言ったので、思考の流れを本人の前で解説しないでくれと思った。斜め向かいの席でビールを飲んでいた女の人がこちらを見てニコッとしたので、変な街、変な店、と思いながら私もほほえんだ。