湯葉日記

日記です

森を歩く

バスがお城みたいなラブホテルの横を通り過ぎて、東京を出たという実感がようやく湧いた。
20分前にマックで買ったホットアップルパイはもう冷めていて、冷めたマックの食べ物ほどまずいものはないよなと考えていたら、隣に座る同行者も「冷めたホットアップルパイほどまずいものないよね」と言うのだった。そうだね、とうなずいて作業的にそれを食べる。

 


高速バスに乗るのはずいぶん久しぶりだった。
大学時代はライブや演劇の遠征なんかで何度か高速バスを使ったが、働くようになってから遠くに行くこと自体が減っていた。たぶん、渋谷から横浜あたりまでを半径とする円の範囲から、この1年くらいいっさい出ていない。
運転手はわたくしコバヤシが、というアナウンスに、「コバヤシさんよろしくお願いします」と返事をする。

 


軽井沢に行きたい、と言ったのは同行者だったが、行きたかったのはむしろ私のほうだった。「ゴールデンウィークの軽井沢なんて混み方もう埼京線埼京線」と母親に妙な脅し方をされたので、宿は小諸だと伝えると「それならよし」としずかに言われる。

 


正午過ぎ、軽井沢駅に着く。
同行者が蕎麦を食べたいと言うので、蕎麦屋を探して歩いた。車通りの激しい駅近くの道は、なぜかそこかしこに松ぼっくりが落ちまくっていて、足を踏み出すたびに靴の底でざくざくと音がした。

引きこもってばかりの私と反対に旅慣れしている彼は、「本当にきみが来るとは」と確かめるように何度も言った。「本当に私が来るとは」と私も言った。
歩きながら自分の心臓がどきどき言っているのが聞こえたので、行きのバスで聴いたフジファブリックを歌ったり、「楽しい」と過剰に口に出したりした。そのうち本当に楽しくなってきた。

 


通された蕎麦屋の席は向かい合うテーブルだったので、緊張した。メニューを見ながら彼が「飲もうか」と言った。迷わずにうなずき、天ぷらうどんの天ぷらをつまみに日本酒を飲む。もうこの旅これだけでいいかもしれない、という心地になる。

近くのテーブルにボーダーのニットを着た4人組の女の子がいた。小声で「合わせたのかな、たまたまかな」と訊くと、「カルテットのオフ会なんじゃないのかな」と彼が言うので納得してしまう。

食後、お茶を飲んでいたら眠くなってくる。とつぜん店内の電気が消えたので、誕生日の人でもいるのかと思ったら、同行者が壁に寄りかかって電気を消してしまったのだった。「失礼しました」と謝る彼を見て笑ってしまう(その日は電気のスイッチを見るたびにそれを思い出して、そのたびに笑った)。

アウトレットで写ルンですやらパスタソースやらを買い、私が「一瞬だけ」と言いながらあらゆる服屋に入ったりしていたせいで、いつの間にかいい時間になっていた。雨も降ってきたので、軽井沢観光はあしたにして日帰り温泉でも行こうか、という話になる。

 


16時半ごろ、しなの鉄道で中軽井沢に向かう。電車の中は人でいっぱいだったのに、中軽井沢ではまばらにしか降りなかった。手動のドアをエイッと閉める。温泉までは送迎バスが出ていたのだけれど、こちらにも人は私たち以外1組しかいなかった。

 


大浴場というものが苦手だ。人の裸を見るのも苦手だし、人に裸を見られるのはもっと苦手だった。温泉の中に入るなり、そそくさと風呂の端に座って10分くらいじっとする。サウナでも同じように、石みたいに10分じっとした。

いろいろな年齢、人種、体型の人たちが視界を横切っていった。肩に桜のタトゥーが入った白人女性が私の目の前に座ったとき、隣のお母さんがすこしだけ顔をしかめた。桜の絵の上を汗が滑り落ちていくさまは、なかなかに美しかった。

 


ノーメイクで外に出るのは緊張した。同行者と合流し、顔を半分くらい隠しながらコーヒー牛乳を買う。すこしだけ肌寒くなっていたけれど、コーヒー牛乳はやはり美味しい。小さいころ、家の隣に数年間だけ銭湯があったことを思い出す。

歩けない寒さではなかった。地下鉄の広告でさんざん目にしていた軽井沢高原教会に寄り(ポスターのままだった)、駅まで戻る。

夕食は作るつもりだったので、どこかでスーパーに寄らなければいけなかった。調べると、宿のある小諸駅周辺に、20時に閉まるスーパーが1軒だけあった。電車が小諸に着くのはその10分前だったので、走った。

なんとか食材を買い、スーパーの前のベンチで「危ない、パスタソースを舐めながら一夜を明かすところだった」と話していると、パスタを買い忘れたことに気づく。
店内に走り、「パスタソースだけあるんです」と言うと店員さんが気の毒がってレジを開けてくれた。無事にパスタを買って戻る。

 


迎えに来てくださったオーナーさんの車に乗って、宿へと向かう。
どんな人なのか分からないので不安だったが、メッセージのやりとりで感じていたとおり親切な人だった。10分くらい車に揺られていると、道が蛇行し始めた。しだいに辺りが真っ暗になる。車のヘッドライトでしか前が見えなくなってきて、なんだかワクワクすると伝えると、オーナーさんが「怖くないならよかった」と笑ってくれた。

 


森の中を通っているのは揺れ方でわかった。やがて車がコテージに着くと、暗闇の中で入り口のドアだけが見えた。中に入ると、和室がふたつあった。
オーナーさんがどこに通じるかわからない扉を開けるたびに、『となりのトトロ』でメイが2階への階段を探すときはこんな気持ちだったろうと思った。静かで、小ぢんまりしていて、すばらしい宿だった。

 


オーナーさんが帰られたあと、「すばらしい」「どうしよう」「とりあえずお酒を」とお酒をあけた。アルコールによって無事に緊張がほぐれ、台所でポトフを作る。カセットコンロしかなくて火加減の調整が難しかった。パスタを茹でようとしたら麺の先が燃えたので、パスタソースで和えてごまかす。

テーブルに料理を並べると、なんとかそれらしくなった。夕食のあと、フルハウスのDVDを見つけてそれを見る。
彼はフルハウスを見たことがないと言うので、奥さんが亡くなっていて、3姉妹で、と人間関係をべらべら説明した。ジェシーおいたんはやはり恰好いい。

 


フルハウスが終わるころ、ふと思い立って、正面の障子を開けてみた。
そこはベランダだった。一歩外に出ると、真っ暗闇の中にうっすらと森が見える。彼も並んで外に出た。冷気がパジャマの裾から入り込んで体を冷やしてゆく。
上のほうが変に明るいなと思って顔を上げると、星が出ていた。ばら撒いたようにそこかしこで光っていて、写真に撮る気にすらなれなかった。美しいシーンを前にして口にする言葉はわざとらしい。私たちは馬鹿みたいに口を開けてそれを眺め、時どき「わあ」とだけ言った。

 

 

 

3~4時間ほどで目が覚めてしまった。しばらく同行者の寝息を聞いていたが、彼も起きた。鳥がチュンチュンと鳴いていたので早朝だとわかった。こういう場面をエスタブリッシュショットと言います、と大学のシナリオの授業で習ったのをふと思い出す。

シャワーを浴び、鼻歌を歌い、昨日のポトフの残りを食べる。長めの二度寝のあとで目を覚ますと、チェックアウトの時間が近づいていた。ベランダから外に出て、昨晩は見えなかったコテージの外観を初めて見る。
宿の予約をするときに写真で見たとおりの可愛らしい建物だった。走り回って写ルンですを使う。

 


10時。コテージを出て、近くのワイナリーまで歩くことにした。

「朝になったらきっとこの桜が綺麗ですよ」とオーナーさんに言われていたあたりを通りかかると、果たして立派な桜の木があった。出来すぎなのでは、と思うくらい、4月下旬だというのに満開だった。なんか今年はきみと3回くらい桜見てる気がする、と言うと、そうだねと彼が言った。

外はいつの間にかうっすらと汗をかくくらいに暑く、道の上には誰もいなかった。フィルターを強くかけたみたいに視野のすべてが鮮やかで、木々は初夏の色をしていた。彼は鞄を置いてシャツを脱いでいた。

 


県道を下ってゆく。振り返ると、コテージのある森がもうずいぶん遠くに見えた。昨日は見えなかったその姿を、種明かしされたみたいに眺める。

歩くにはやや過酷なルートだった。丘やら小川やらたんぽぽだらけの道を通るたび、ヒールの裏に草が貼りついていった。
途中、一瞬だけ田んぼの隣の住宅の脇を通ると、そこの主人がどうしてこんなところ、みたいな目をしてこちらを見た。綿毛を飛ばしたりしながら、なんとかワイナリーに着く。

 


またもや人は少ない。見学の申し込みをしたあと、順番がくるまでの時間にワインの試飲をしすぎてしまう。「きみはコップ1杯に注ぐ量がすこし多いと思う」とやんわり彼にたしなめられる。

ガイドのお姉さんの説明を聞き、ワインができるまでのDVDを見る。10分弱の映像。なぜか後半にだけあらゆるシーンでテロップが入ってきて、そればかり気になってしまう。
見終わったあと小声でそれを伝えると、「フォントがWordにデフォルトで入ってるやつだったよね」と彼が言う。

 


ワインを貯蔵している樽の前で、「この樽の中のワインをひとりで飲みきろうと思ったら、毎日1本飲んでも130年かかります」とお姉さんが言い、まばらな見学者がワッと沸いた。2回生まれ変わっても飲める! とみんなではしゃぐ。

足が棒のようだったので、小諸駅まではタクシーを使った。この旅で初めてのタクシーだった。景色が窓の外を通り過ぎるスピードに驚く。早送りの映像を見ている気分だった。

 


小諸駅に着いて、昼食をとれる場所を探す。
街じゅうに貼られた俳句のコンテストの受賞作を見ながら、「これは保護者が書いてる」「いまいち」などと品評して歩いた。揚げ饅頭を買って半分ずつ食べる。
スナックの並ぶ通りを歩きながら、楽しくて思わず「楽しい!」と連呼してしまう。日曜日で休みの店が多く、結局、昼食を小諸でとるのは諦めた。

 


再びしなの鉄道に乗る。ボックス席に座ったら眠くなってきてしまい、しばらくウトウトした。起きたら中軽井沢だった。「きみが寝てる間に車窓から馬が見えたよ」と彼に言われる。この2日間、あらゆる同じ景色を見てきたのに、私だけ見られなかった光景があるというのはすこし癪だった。

中軽井沢の駅を出て歩いていると、横からいい匂いがした。小さなレストランがあったので、迷わずに入る。何を食べても美味しい店だった。「やっぱり美味しい匂いをさせるお店は美味しい」と彼が得意気に言う。テラス席は風が強く、飛ばされたおしぼりを何度か回収しに行った。

店を出て、橋を渡り、「ムーゼの森」に向かう。

 


道中、ものすごく人懐こい猫とものすごく警戒心の強い犬を飼っている家の前を通りかかった。猫が私と彼の足元を行ったり来たりしている間、犬はずっと吠えていた。

迷いながらもムーゼの森に着き、絵本の森美術館に入る。ミュージアムショップの扉を開けるなり、目の前に『ねないこだれだ』が見えてウワッとなる。彼は姪と甥のために、私は自分のために、ポストカードやステッカーなどを買い漁る。

絵本が自由に読める展示室には誰もいなかった。椅子を並べて、昔読んだ絵本をぱらぱらとめくった。母親が林明子の絵が好きで、私はそればかり読まされて育ったのだった。

『とん ことり』や『あさえとちいさいいもうと』を読み、すこし泣く。『かいじゅうたちのいるところ』も、『ずーっとずっと だいすきだよ』も『100万回生きたねこ』も、当然のように泣いてしまう。天国的な時間。

 


ムーゼの森を出て、バス停で市バスを待った。「いい旅行だった」と言おうとして、帰るまでが旅行だと訂正する。

バスは遅れながらもきちんとやってきた。軽井沢駅まで熟睡する。起きて、今度は高速バスのバス停まで歩く。ぎりぎりでなんとか乗れる。

帰りのバスというのは例外なく、夜みたいに静かだ。寝てもいいよと彼が言うが、起きたときに街並みががらりと変わっているあの感じを味わうのが淋しいので、我慢して起きている。すこしずつ、すこしずつ窓の外から山が消えてゆき、建物が増えてゆくのをじっと見届ける。

江古田を通り過ぎ、中野を通り過ぎ、灯りが増え、新宿に着いた。22時だった。

 


新宿を歩きながら、人の声だらけだと思った。キャッチも、キャッチ禁止を訴える街頭テープも、私たちを取り囲むあらゆるものがうるさかった。ひとりになりたいとずっと思っていたけれど、そうじゃなくて私は静かな場所に行きたかったのだ、と急に気づいた。小諸の夜が、ものすごく遠い日の出来事のように思えた。