湯葉日記

日記です

好きっていう

ここひと月くらい、とにかく焦っていた。10月に詳しくは書かないけれど最悪のことがあって、何週間か外に出らんなくなり、大好きだった酒もしばらく飲めなくて、匂いを嗅ぐだけで気持ち悪くなってしまった。
 
仕事先にももしかしたら急に休ませてもらうことになるかもしれません、という連絡をして、動けない時間はずっと家で寝ていた。明るい時間、人がいないときを見計らって一瞬外に出たりはしてみたものの人とすれ違うとパニックっぽくなるので、仕方ないから家に戻ってまた寝た。私はもともとものすごくよく眠るほうだけど、そのころはあまりにも体を地面に対して平行にしている時間が長すぎたのか体内のコンパスみたいなものがバグって、ちょっと垂直になるだけで具合が悪くなった。このままだとひとりで起きられなくなって救急車を呼ばなきゃいけなくなる、とあるとき本気で思って泣きながら起きた。すると起きた衝撃で急に吐いてしまって、まじ? こんなことある? と思った。
 
あとは暗い話になるので割愛するけれどだいたいそんな数週間を過ごした。11月は仕事も進まないし外を歩くと足がガタガタになるし、10月ほどではないけれど基本的には過剰に寝ていた。
 
過剰に寝ると悪夢を見る。夢のなかで何度も人に襲われかけ、マ~ジ~で勘弁してくれ~と思った。それだけならまだしも(まだしもではないけど)、いっしょにいる人が途中までやさしかったのに、飲み物に口をつけてふっと横を見たら虹色の鬼に変わってるみたいな夢を見たときはさすがに即日でカウンセリングを受けられる病院を探した。が、そんな病院はほぼないか、あっても口コミが最悪だったのでおとなしくまた寝た。
 
ツアーだったら全通してるなというくらい悪夢を見続けた日々だったけど、いちばんこたえたのはなにも書けなくなる夢だった。というか夢じゃなかった。なにも書けなくなる夢を見て起きたらほんとうになにも書けず、とりあえず素材が先にあるものなら大丈夫だったから、インタビューの文字起こしばかりした。起こした文字を見ているとそれが人の言葉であることにすごくホッとして手が進んだ。取材の仕事はふつうにできた。
 
問題はエッセイのような仕事だった。えー書けないじゃん、でも書けないことなんかぜんぜん多いしなあと思ってしばらくふらふらと本を読んだり刺繍をしたり(ところでいま私はビーズ刺繍で犬を縫うことにものすごく凝っています。その話は追ってする)していたが、書けないというよりも、自分が書いたものを自分で読むのに耐えられなくなってるんだなあということに気づいたときはやや愕然とした。
 
抑うつといえばめちゃくちゃシンプルにおそらく抑うつで、なにかひと言書くたびに「よくもまあこんなことをいけしゃあしゃあと」と思った。こんなの誰が読みたいんだろうと思った。自分がそんなに読みたくないものでも人は読みたいって思ってくれることがあるよな、経験上、と自分をギリ奮い立たせようとしたけれど、ひと言ひと言の自信のなさや確信の持てなさ、それ自体が人を傷つけうるものになってないか? と自問自答を始めたらもう。
 
もう。
 
エッセイを書くのやめようかなと思った。取材の仕事を文字にしているときのほうが楽しいし、人の言葉をほかの人に伝えるほうが自分が不在に(近く)なれるので安心する。好きな文章を書いてくれる人は幸いたくさんいるし、人の新しい詩、小説、エッセイ、なにを読んでも涙が出た。自分のことをうつ状態と認めるには合点がいかないほど人の言葉に触れるのは楽しくうれしかった。余談だが彼氏といても楽しかった。取材も楽しいし、たまに心配して誘ってくれる友だちとファミレスやらオンライン上で会うのもありがたくうれしい。だからもうほんとうにこれでいいんじゃないかと思った。
 
 
 
話がずれるけど、すこし前から、自分の好きっていう気持ちもどうやって扱えばいいのかよくわかんなくなっていた。
 
なにかのことをめっちゃ好きだなあ!と思うと手足の先が痺れてきて、星とか毎晩見上げてしまうしわけがわからなくなってしまう。ただ私は好きと思った対象が芸能人であろうが近い人であろうが困らせたくないなという気持ちだけはつよく、しょうがないから日記とかをめちゃくちゃ書いたり、好きな人を見た日のコンタクトレンズを保管して話しかけ続けることでどうにか自分の好きの過剰さに折り合いをつけていた。
 
ハタチくらいまではずっとそうしていて、最近はさすがにもうすこしだけ穏やかに生活めいたことをしていたけれど、めっちゃ好きなバンド(ルビ:ポルノグラフィティ)が年に何回かライブをするたびにその過剰さの周期はめぐってきた。好きなバンドが好きっていう気持ちを人に話したりなにかに書いたりすると、私なんてけっきょくは空洞で私のこの好きっていう気持ちが自分の本体なのだなあ……みたいなことを本気で考えた。じゃあ私の空洞って? とは考えなくても、その光(ルビ:ポルノグラフィティ)の反射みたいなものを体の輪郭で感じられればそれでよかった。
 
ただ、こんな仕事をしながら外に向かって好きと叫び続けていると、その対象を好きってこと自体が自分の一部みたいにまわりから見られるようになる。「ポルノグラフィティっていうバンドのファンをずっとやってて……」「それはみなさん知ってますよ(ニコニコ)」。みたいな会話が誰とのあいだでもふつうになって、ありがたいなあと思う反面、私がポルノを好きってこんな強さで言い続けることでポルノのことを敬遠してしまってる人もいるんだろうと思った。
 
そんな大げさな、と思われるかもしれないけど、「あの人がファンって言ってるから自分も好きって言いづらい」とか「そんな薦めかたされると逆に見たくなくなる~」とかわりとあるし、直接言われたこともある。私は帰属意識みたいなのがすごい苦手だけれど、あそこのファンの“界隈感”はすごい、とか排他的なイメージある、とかこわい、みたいなことを人の推しに対しても聞くことはふつうにあるので、自分の好きって気持ちが所有欲とか支配欲みたいなものに近づくことがあったらすごく嫌だなって思っていた。
 
で、そう思っていたらだんだんわからなくなってしまった。好きな人が歌ってて、歌っている横顔が15年前に見たMVのなかの表情にそっくりで、好きだなあと思う。その好きだなあという気持ちをなにかに書こうとするとき、「横顔がきれい」って打っては消し(若いころを思い出して美しいとか思うの失礼じゃない?)、「C1000タケダのCMと…おんなじ表情をしていた…」って打っては消し(古参マウントみたいだ)、「好きな人の顔だからこんなに見るだけでうれしいのかな いてくれてありがとう…」って打ってはやっぱり消して(素直な気持ちだけど素直だからマジでこわくない?)、もはや好きと表明しないことが愛では、そういえば「愛は誰かに見せたり まして誇るようなものではなくて」とポルノグラフィティも歌っていた……となる。
 
 
 
もしかしたらこうやって私は日記とか書かなくなるのかなあ、という気持ちの高まりとエッセイが書けなくなったことは、だからちょうどぴったりの時期に重なった。
 
ちょうどそのタイミングでたまたまポルノグラフィティの故郷の因島を訪れた。なんとなく、尾道に行くついでだった。自転車を漕いで行ったらすごく気持ちがよく、もうそれだけでぜんぶだった。寒くてずっとフェリーの待合所にいた。私が中学生だったら風邪を引いてでも青影トンネルとか折古の浜とか、曲のなかに出てくる場所に無理やり自転車で行こうとしたんだろうと思った。ポルノの故郷にきた感慨はある? って聞かれて、どの道を曲がってもはっさくがなっている畑に行き当たることには笑ったけど、べつに感慨とかないなあと思った。それよりも好きな人ときれいな海と夕焼けを見ていることのほうが素朴にうれしかった。東京に帰ったら取材の仕事をがんばろうと思った。
 
 
 
きょう、配信ライブのチケットを買ったのはライブが始まる20分前だった。アーカイブが残るし、リアルタイムで見られなくてもまあいいかみたいな気持ちで仕事をしていた。
 
疲れて仮眠をとって、起きたら18時半だった。コンビニにごはん買いいこ、と思ってついでにチケットを買って発券した。レジで払込票が手元にきたとき、ライブの5分前だった。あー始まる、と思って、エコバックに買ったおつまみとスープとチーズケーキを入れて歩きだした。
 
自分が爆速で走っていることには歩道橋の上で気づいた。え? と思った。足音のうるささで、犬といっしょに下を歩いている人がこちらを見たくらいの猛スピードで走っていた。
 
だってライブが始まってしまう!
 
走りすぎて家に入った瞬間倒れ込んでしまった。くそっ、とか言いながらパソコンをつないだ。すぐにライブが始まったのだけど霞んでまったく画面が見えない。メンバーのシルエットが見えると同時に私は謎に号泣していて、自分の嗚咽がうるさすぎてパソコンの音量を100にした。100とか使うことあるんだ、と思った。
 
部屋に誰もいないのに、誰に向かってでもなく好き、どうしよう、なんで、とかずっとつぶやいていた。途中からはマンションの壁の薄さに思い至り、近くにあったノートをひっつかんでそこに叫びみたいな短い言葉をぜんぶ書くようにした。あとから見返したら「ここは」「星? 夢?」とあった。途中で鼻血が出たので暖房を切って冷房にした。
 
だからなにっていうわけではないけど、こうなってしまうんだなあ、私は、まだ……と思った。好きっていう気持ちをどうしていいかまだ本当にぜんぜんわからない。だからたぶんまたなにかこうやって書きはじめるんだと思う。わかんないけど。